トップオピニオンメディアウォッチイスラム系生徒が多数派に、メディアが報じた「歴史の歯車が動く瞬間」

イスラム系生徒が多数派に、メディアが報じた「歴史の歯車が動く瞬間」

カトリック系上回る

ウィーンのパレ・コーブルク・ホテルのバルコニー/UPI撮影
ウィーンのパレ・コーブルク・ホテルのバルコニー/UPI撮影

先月、「歴史が動いている」と感じさせたニュースがあった。それは新聞1面トップを飾る大ニュースではなく、国際面の短信記事だったが、「ああ、歴史が確実に動いている」と思わせたのだ。

ウィーンの公立学校でイスラム教徒の家庭で生まれた生徒がローマ・カトリック教会の信者の親から生まれた生徒の数をとうとう上回ったというのだ。イスラム教徒を親とする家庭の生徒数は全体の35%を占め、それを追って26%は無宗派の親からの子供、そしてローマ・カトリック系は21%にとどまった。そのほか、正教徒系からの生徒13%、プロテスタント系2%だ。ウィーン市が調査した最新調査結果だ。ウィーン市内の90%の小学生を対象にして調査された。なお、私立学校は調査対象外だ。

2017年に実施された同様の調査では、カトリック系生徒が31%で第1位、イスラム系は28%だった。7年後、イスラム系とカトリック系生徒の割合が逆転し、イスラム系生徒が最大グループとなったわけだ。公立の学校ではスカーフを着けた女子生徒はもはや珍しくない。オーストリア国営放送(ORF)も夜のニュース番組でイスラム系の生徒数がカトリック系の生徒数を上回ったというニュースを報じた。オーストリア国民にとってやはりショッキングなニュースだったのだ。

調査を実施した関係者によると、「イスラム教徒を親とする生徒は非常に宗教的で、性的少数派(LGBT)に対しては批判的であり、多くは反ユダヤ主義的傾向がある。イスラム系子供でも信仰に余り関心がない場合、他の典型的なイスラム系生徒からさまざまな圧力、モビング(擬攻撃)を受ける傾向がある」という。

 欧州でイスラム系住民の数が年々増加していることは久しく報じられてきたことで、新しいニュースではない。中東・北アフリカから多数のイスラム系難民、移民が欧州に殺到した15年以来、「イスラムの欧州北上」は既成の事実だ。にもかかわらず、ウィーン市公立学校のイスラム系生徒の数がカトリック系生徒のそれを上回ったというニュースに「歴史の歯車」の音を感じさせるものがあった。

第3次ウィーン包囲

ちなみに、オーストリア国民には「イスラム北上」のトラウマが抜け切れない。同国は過去2回、オスマン・トルコから侵入を受けた。1529年と1683年だ。特に、後者(第2次ウィーン包囲)では、北上するトルコ軍にオーストリア側は守勢を余儀なくされ、ウィーン陥落の危機に直面した。皇帝レオポルト1世の支援要請を受けたポーランド王ヤン・ソビエスキーの援軍がなければ、危なかった。ウィーンがトルコ軍の支配下に陥っていたら、欧州はイスラム圏に入り、キリスト教文化は消滅していたかもしれないのだ。

仏人気作家ミシェル・ウエルベック氏が小説『服従』でイスラム系政党から出馬した大統領候補者が対立候補を破って当選するというストーリーを描き、欧州全土で話題を呼んだことがあった。独週刊誌シュピーゲルはウエルベック氏とインタビューし、その衝撃を報じていた。

同じように、ウィーン市の小学校でのイスラム系生徒の数の増加は近未来のウィーン市を予測させる。増加するイスラム系生徒は「第3次ウィーン包囲」の予備兵とも言えるからだ。

サッカーも負けて涙

なお、ドイツで開催中のサッカーの欧州選手権(ユーロ2024)でグループ戦をトップで抜けて決勝トーナメントに進出したオーストリアは2日、ドイツのライプチヒでトルコと対戦した。ブックメーカーでは「オーストリア有利」と予想されていたが、1対2でトルコに負けてしまった。オーストリア国内に住むトルコ系住民は大喜び、深夜まで大騒ぎだった。一方、ウィーン市のメトロ新聞は3日、1面トップで「オーストリアは泣いている」と報じていた。(小川 敏)

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