
警察のリーク鵜呑み
化学兵器サリンが初めて犯罪に使われ8人が死亡、約600人が負傷した松本サリン事件(1994年6月27日)から30年が経った。この事件はオウム教団による「国家転覆計画」の一環で、それを見逃した「治安の敗北」、誤報を繰り返した「メディアの醜態」を見せつけた。その意味でも忘れられない事件だ。
節目の年とあって各紙そろって「回想記事」を掲載したが、治安敗北や被害者関連の回想はあっても誤報問題は抜け落ちていた。新聞で“反省社説”を掲載したのは産経と東京のみ。他紙はまるで知らん顔。かろうじて朝日の天声人語が扱うぐらいだ(いずれも27日付)。まことにもって反省が足りぬ。ここに誤報体質を温存させているメディアの根本問題がある。
事件当初、第一通報者の会社員、河野義行氏が犯人扱いされた。捜査本部が「(河野氏が)農薬調合ミスによって毒ガスを発生させ、それを認める供述している」といった情報をリークし、これを鵜呑(うの)みにしたメディアが「毒ガス男」などと書き立てた。
新聞は河野氏の氏名を第一通報者として記し、警察が家宅捜査した段階で「人権への配慮」(読売94年7月9日夕刊)から匿名に切り替えたと弁明したが、新聞紙面で書かずとも新聞社発行の週刊誌では人権侵害報道をしまくった。週刊読売「会社員44歳ナゾだらけの私生活」(同7月14日号)、週刊朝日「会社員宅から恐怖の毒ガスが流出するまで」(同15日号)、サンデー毎日「『危険な隣人』の正体」(同17日号)といった具合に、である。
特権に浸かり協定も
新聞が誤報を謝罪したのは、地下鉄サリン事件が発生し松本事件もオウムの犯行と判明、同教祖の麻原彰晃が逮捕された翌95年5月のことだ。しかも、「警察情報の丸のみやサリンについての無知が背景」(産経)といった言い訳に終始した。だが、「警察情報の丸のみ」報道にはメディア界の宿痾(しゅくあ)が潜んでいる。
そのことを指摘したのは当の河野氏とジャーナリストの本田靖春氏だった(週刊現代「『検証』松本サリン事件報道」95年7月29日号)。河野氏はこう述べている。
「裏付けをとれば誤報は防げるはずなんです。警察に頼らずにもっと取材すればいいじゃないですか。結局はマスコミのシステムを変えないかぎり同じ間違いを繰り返していくんじゃないでしょうか」
本田氏は「本来、警察とメディアは社会的に役割が違うのに、現場では、警察が猟師でメディアが猟犬の関係になっている。マスメディアは根本的に新しい取材方法を検討すべき時に来ている」と指摘している。
両氏が言うのは「記者クラブ」のことである。行政からの情報提供を一方的かつ独占的に受ける記者クラブに新聞、テレビ(これも新聞系列)がどっぷり浸かり、各社はクラブで情報を得る特権を手放したくないので協定まで結んでいる。共同通信編集主幹だった西山武典氏などは「(この制度に依存しているので)報道には誤りは本来避けられないものである」と開き直っている(『ザ・リーク 新聞報道のウラオモテ』講談社刊)。
ペンを持った活動家
松本事件では警察(猟師)が「河野氏犯人説」を流すとメディア(猟犬)は競って犯人と書き立てたわけだ。97年2~5月の神戸児童連続殺傷事件では、「黒いゴミ袋を持った中年男」報道が飛び交い、「不審な男」の似顔絵まで報じられた(犯人は中学3年男子生徒=当時=であった)。
東京社説は「『自分はペンを持ったお巡りさんになっていた』。…冷静な報道者としての判断力を磨きたい」と記すが、記者クラブに限らず各種の「発表モノ」を検証もせずに尾びれを付けて騒ぎ立てるのが左派紙の常とう的やり方である。その典型が旧統一教会報道で、記者は「ペンを持った活動家」に成り下がっている。真に反省するなら記者クラブ廃止のみならず、記者魂を根本から入れ直すべきだ。
(増 記代司)