トップオピニオンメディアウォッチ戦前の中国・雲南へのユダヤ人避難民10万人入植計画を報じた米誌

戦前の中国・雲南へのユダヤ人避難民10万人入植計画を報じた米誌

前向きだった中国側

第2次世界大戦前、中国雲南省にナチス・ドイツからの迫害を受けるユダヤ人避難民10万人を入植させるという計画があったという。米誌フォーリン・ポリシーが6月初め報じた。

計画は、1934年1月に米ニューヨーク・ブルックリンの歯科医モーリス・ウィリアムが、物理学者アルバート・アインシュタインに宛てた書簡で提示されたという。「昨年9月に(判事の)ルイス・ブランダイス氏の別荘を訪ねた際、自然にドイツのユダヤ人の話になった。ブランダイス氏も、中国はヒトラーの犠牲者にとって一つの大きな希望だ」と記している。

アインシュタインは、「とても希望的で合理的だと思う。実現へ、精力的に取り組むべきだ」と計画に賛意を示した。さらに「中国とユダヤの人々は伝統という点では相違があるものの、共通点もある。どちらも、古代にまでさかのぼる文化の産物としての精神性を持っていることだ」と書き記している。

この提案に当時、中華民国の最高国防委員会委員で、孫文の息子の孫科が意欲的に取り組み、政府の民事局に入植計画を提示している。それによると「これらの人々は、国がないことで大変な苦難を受けてきた。2600年以上にわたって祖国がないままさまよってきた」と指摘、「英国はパレスチナに恒久的な入植地を建設しようとしているが、現地のアラブ人から強い反対に遭い、暴力は依然やんでいない」と記している。

この計画を支持したユダヤ人にとって雲南は「中国の約束の地」だった。

孫科が中華民国政府に提案したことでウィリアムらも意欲的に活動し始めたものの、ウィリアムが、米政府に支援金を要求し始めたことから、事情が変わり始めたという。「計画が放棄された正確な事情は不明確」としているが、当時、上海などで、計画について活発に議論されていたようだ。

ウガンダ計画は拒否

九州大学の阿部吉雄教授(国際共生学)は2011年の論文で、1939年6月22日付「シャンハイ・ジューイッシュ・クロニクル」紙がこの移住計画を取り上げていたと指摘している。「移住者1人当たり500US㌦という中国側の要求や1939年9月の第2次世界大戦開始のため実現しなかった」としている。

フォーリン・ポリシーによると、歴史家でイスラエルのハイファ大学教授グル・アルロイ氏は、パレスチナ以外の地へのユダヤ人移住計画について「シオンのないシオニズム」と名付けた。また、医師であり、ロシアでシオニズム運動を推進したレオン・ピンスケルは1882年に、「私たちの現在の取り組みが目指すのは、『聖地』ではなく、私たちの土地でなければならない」と、パレスチナ以外の地でのユダヤ人のホームランド建設への支持を示していたという。

ユダヤ人の移住計画としては1903年のウガンダ計画がよく知られている。当時、ロシアで発生したポグロム(ユダヤ人虐殺)を受けて、英国が統治していたアフリカのケニアの一部地域にユダヤ人の祖国を建設しようという計画だった。

この計画は、パレスチナにこだわるユダヤ人指導者らが拒否したことで実現しなかったが、フォーリン・ポリシーは、「若い共和国である中国がユダヤ人入植を受け入れる可能性があることを示唆したのはウィリアムが初めてだった」と指摘している。

米英政府は協力せず

この問題はイスラエル紙ハーレツが2017年8月に、「中国の文書から最近、大量の欧州のユダヤ人を受け入れる計画が明らかになった。それは正しいことだったと考える」と報じた。頓挫した理由は不明としているものの、ドイツとの関係への影響、米英政府が協力的でなかったことを指摘、その結果「欧州での悲惨な運命から多くの命を救う機会が失われた」としている。(本田隆文)

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