
「次の時代」が危うい
読売の書評面に月1回、「空想書店」と題する欄が設けられている。自宅などにある蔵書を書店になぞらえ、お薦めの本を紹介する趣向で先月は伊吹文明元衆院議長が登場した(5月17日付)。その中で伊吹氏は「一番大切にしてきたのは『保守』の理念」とし、英政治思想家エドマンド・バークの『フランス革命の省察』を取り上げている。
「バークは、国家は、前の世代のものを受け継ぎ、自分の時代で良きものを付け加え、次の世代に渡していく『3世代の共同体』だと語ります。私も、政治はそうあるべきと考えてきました」
先週、少子化の加速に歯止めがかからないとのニュースが各紙を飾った(6日付)。厚生労働省が公表した2023年の出生率は過去最低の1・20、出生数は過去最低の72万7千余人、婚姻数は戦後初めて50万組を下回り約47万組に落ち込んだ。国を受け渡す「次の時代」が危うい。それで伊吹氏の顔が浮かんだ。
20年前の03年、少子化による人口減少が問題になった際、自民党少子化問題調査会会長代理だった伊吹氏は読売紙上でこう語った。「自然に結婚し、子どもをつくり、育てていく。その喜びや価値観をみんなが共有する。そうした社会を取り戻すことが、少子化対策の基本だ。…『結婚するかしないかは自分の権利』『子どもをつくらないのも夫婦の自由』と考える男女が増えていることが少子化を招いている根本問題だ」(同年5月23日付)。
伊吹氏は「最小単位の『公』は家族だ。教育のあり方を見直して、家族の持つ価値、家業の値打ち、祖先に対する尊敬の気持ちを子孫に受け継ぐことが、当たり前の常識として共有される社会を取り戻すべき…(それには)憲法や教育基本法の改正も避けて通れない」と訴えていた。
メディアも認識共有
当時、保守メディアはこのような認識を共有していた。読売は翌04年5月3日付に「憲法改正2004年試案」を発表した際、1面トップ見出しに「家族は『社会の基礎』」を据え、家族条項の新設を掲げていた。産経は1998年5月3日付主張で「改憲に『家庭教育』を含めたい 忘却された視点の論議を」とのタイトルで長年、9条問題で改憲を提起してきて「家庭」を論じるのを怠ってきたと反省し、憲法に家族や家庭教育についての条項を欠いていると論じた。13年4月に発表した産経改憲案(「国民の憲法」要綱)に「家族の尊重規定の新設」が盛り込まれている。
今回、少子化に拍車が掛かっているというのに読産からこんな問題提起はまったく聞かれない。読売は今年4月に「人口減抑制 総力で」との7項目の読売新聞社提言を発表したが(同26日付)、どれを見ても経済政策、言ってみればゼニ勘定だった。
「結婚から育児 切れ目なく支援『2人目の壁』取り払う」「若者が希望を持てる賃上げ『不本意な非正規』なくそう」「多様な働き方 選べる社会に 長時間労働を前提とせず」等、経済的にはもっともな施策とは思うが、伊吹氏が指摘した「子どもをつくり、育てていく。その喜びや価値観をみんなが共有」する視点、すなわち「家庭の価値」について一切論及がなかった。
国家が成り立たない
読売提言も8日付社説「婚姻数の減少は重い課題だ」も「結婚するかしないかは個人の自由だが」との“断り書き”の後に論を進め「個人の尊重」に遠慮し腰が引けている。産経も経済政策がメインで、7日付主張「人口減社会の国家像示せ」は、「人口が減っても、治安を守りながら、豊かさを享受できる日本」を求めるだけで、かつて反省した「忘却された視点」は今や忘却の彼方の体である。
保守紙は「個人の尊重」をうたう現行憲法にいまだ呪縛されているようだ。個人だけでは「3世代の共同体」としての国家は成り立たないから改憲が必要ではなかったのか。リベラル紙のほくそ笑む顔が浮かんできそうだ。
(増 記代司)