トップオピニオンメディアウォッチ「ニッポン」読みに圧力かける朝日、憲法の「国民」に珍論唱える毎日

「ニッポン」読みに圧力かける朝日、憲法の「国民」に珍論唱える毎日

軍国主義につながる

ありゃま、びっくらこいた、たまげたわー。こんな声が聞こえてきそうだ。「ニッポン! チャチャチャ」―、スポーツ応援でしばしば鳴り響く、このフレーズにある「ニッポン」という発音は軍国主義につながるから「ニホン」と言うべし。こんな説教を朝日の高橋純子編集委員が25日付コラム欄「多事奏論」でのたまっていたので驚かされた。

NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」の第1話の冒頭のナレーションで「昭和21年。公布されたにっぽんこくけんぽうの第14条にこうあります」と、「にっぽん」と読み上げていたのを高橋氏はダメ出しし、進歩的文化人の雄と言われた哲学者(と言うより政治運動家か)鶴見俊輔氏らの次なる発言を引いている。

「儀式めいた時、元気な時、侵略思想をひろげようとする時には、日本という漢字は『にっぽん』と発音される」(鶴見俊輔「言葉のお守り的使用法について」1946年)「日本主義・東洋主義乃至アジア主義・其他々々の『ニッポン』イデオロギーが(ニホンと読むのは危険思想だそうだ)」(戸坂潤「日本イデオロギー論」35年)

確かにサッカーやバレーボールの応援のように元気にしたい時、あるいは日本を強調したい時は「にっぽん」、普通の会話は「にほん」と大方の人は使い分けているだろう。それを高橋氏はわざわざNHKに問い合わせ、「どちらで呼称するかは番組の判断」との回答に「つれない」とし、「にほん」と読んでほしいと「圧力」をかけていた。

もう一つの言葉狩り

それで合点がいった、日本共産党は「にほんきょうさんとう」と読ませていることに。ちなみに日本維新の会は「にっぽんいしんのかい」である。朝日は「大東亜戦争」の呼称はGHQ(連合国軍総司令部)指令で禁止されているとしていたが、「にっぽん」には進歩的文化人の言葉狩り指令があるらしい。うかつに「ニッポン、チャチャチャ」と応援すれば、軍国主義者呼ばわりされかねない。もっとも朝日にも「ニッポンの宿題」と題する連載が過去にあったが。

もう一つの言葉狩りを毎日の伊藤智永・専門編集委員がやっている。それは「国民」である。11日付コラム欄「土記」で、バイデン米大統領の「日本人は外国人嫌い」との移民を巡る発言をだしに使って「実は77年前に施行された日本国憲法に『日本人の外国人嫌い』は埋め込まれている」との“珍論”を披歴していた。

伊藤氏によれば、GHQが示した憲法草案には「自然人」とあったが、日本側が翻訳のどさくさ紛れに「国民」とした。GHQは「全ての人は法の下に平等だ。peopleに人民の訳語もあるではないか」と指摘したのに対して内閣法制局は「人民とは王に抵抗する民を指す。日本人は天皇と対立しない」と反論。その結果、「日本国憲法に『人』は登場しない。主語は『国民』」となり、それで外国人嫌いが埋め込まれたという。これを国民民主党は何と聞く。思わず「はぁ?」ではないか。

初出は共産党機関紙

伊藤氏は国民より人民がよほど好きなのか。その人民について政治学者の原武史氏は皇居前広場が「人民広場」と呼ばれた時代があったと朝日25日付土曜版「歴史のダイヤグラム」で紹介していた。「さあ諸君、職場から住居から歓迎の歌ごえたからかに人民広場にあつまろう、そして働く者同志のよろこびを、くるしみを、ありのままにこころゆくまでかたりあおう!」

これが人民広場という表現の初出で日本共産党機関紙「アカハタ」47年4月1日付にあるという。憲法に「人民」と書かれていれば、皇居前広場は人民広場となり、人民保険、人民年金等々、国民は人民に取って代わられ、挙句の果てに「日本人民共和国憲法」(共産党の草案)となっていたやもしれぬ。

朝毎が闊歩(かっぽ)すれば国民、いや人民はしょんぼりと「にほん、むにゃむにゃ」と言わざるを得なくなる。くわばら、くわばら。

(増 記代司)

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