ハト派・宮沢喜一元首相の改憲も集団的自衛権も辞さない「遺言」

朝日が日録スクープ

自民党ハト派の代表といわれた宮沢喜一元首相(2007年死去)が40年間に及ぶ日々の出来事を記録した「日録」を遺(のこ)していた。朝日は2月に日録の存在を“スクープ”し、その後、政治学者の解説などを交えて報じている。初報は同25日付。デジタル版では5月9日まで「宮沢喜一日録 戦後政治の軌跡」と題して23回にわたって連載している。

初報は1面で「宮沢元首相『日録』克明40年 計185冊 戦後政治・権力闘争記す」の見出しで、松田京平・政治部長の「未解決の派閥とカネ 重い検証資料」と題する解説を添え、「政局視点」で報じていた。

が、中面にあった三浦俊章・論説委員による「日米 中国 見据えたリアリスト」の見出し記事を読んで驚かされた。単なる政局モノで片付けられない日本の針路に関わる内容を含んでいたからだ。詳報しているデジタル版を読むと、ますます見過ごせなくなった。宮沢氏が「21世紀への遺言」と位置付けた「衝撃の提起」を行っていたからだ。

01年、敗戦から国際社会に復帰するサンフランシスコ講和会議から半世紀を迎えて当時の出席者で日米通じて唯一健在だった宮沢氏に米国から記念講演を依頼された。そのため国際政治学者らと8カ月にわたって演説内容について勉強会を重ねて原稿を練り上げたという。

「(その講演で)宮沢は、他国を守る集団的自衛権の行使について、『日本の安全保障上のリスクに明確かつ直接にかかわる活動』をしている米軍を守るためであれば、憲法を変えずに『自衛隊を運用できる、運用するべきだ』と述べたのだった。宮沢が語った集団的自衛権の行使は、憲法上可能な自衛を超えるとしていた政府の解釈に挑むもので、13年後に安倍晋三内閣が行った憲法解釈の変更とほぼ同じ話だ」(デジタル版2月25日付・第12回)。

安倍氏よりいち早く

朝日がハト派と持ち上げてきた宮沢氏は何と安倍氏よりもいち早く集団的自衛権行使に踏み込んでいたのだ。さらに宮沢氏は当時まだ楽観論が多かった中国の針路について「軍事強国志向であり、わが国及び周辺の脅威になる」との懸念を示し、「憲法は変えないで守っていこうと思っているが、最後の判断の要素は中国の出方だ」と強調し、日米の連携を強めようと改憲の可能性にまで触れていた。これも驚きである。中国への警戒感と改憲も辞さないとする姿勢もまた、安倍氏と軌を一にしているではないか。

この宮沢講演を米国で直接聞いたのが同紙アメリカ総局員だった三浦氏で、前記の紙面記事は、デジタル版の方では「『外交リアリスト』でもあったハト派・宮沢氏、米国講演で衝撃の提起」(第3回)と、「ハト派」と「衝撃」の文言を見出しに取り、宮沢講演への驚きを表していた。それに引き換え紙面の見出しはオブラートに包んだようで分かりづらい。小見出しに「『集団的自衛権を』演説の裏 勉強会着々」とあるが、これでは「衝撃」は伝わってこない。ハト派・リベラル読者に“配慮”したのだろうか。

功罪の「罪」にも言及

宮沢講演は当時、どう報道されたのか、寡聞にして知らない。朝日記事にもあるが、講演の5日後に米国で同時多発テロ事件が発生し世界の関心が「対テロ戦争」へと移り、吹き飛んでしまったのか。

宮沢氏は「日米同盟の功罪」の罪の方について「議論のありそうな言い方をすれば、福沢諭吉が言ったように、『独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず』(『学問のすゝめ』のことば。個人としての独立心が乏しい人は、国を深く切実に思うこともない)ということでしょう」(朝日5月7日付=00年8月の発言再録)と述べている。

朝日はハト派・宮沢氏の「集団的自衛権行使も改憲も辞さず」の「遺言」をどう受け止めるのか。まさか独立の気力が乏しいから国を思うこともないとでも言うのだろうか。

(増 記代司)

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