「到底受け入れ難い」
12日は「母の日」だった。感謝の意を込めて、母親にカーネーションを贈った人は多いだろう。
米国で始まり日本にも定着している母の日が「消えてしまう」と言ったら、「ホラを吹くな」と誰も信じないだろう。しかし、立憲民主党が国会に提出した「婚姻平等法案」(正式名称「民法の一部を改正する法律案」)を一読していただきたい。ホラでないことが分かっていただけるはずだ。ただ、もし立民が政権を取ったら、という条件が付くのだが。
SNS上で今、同法案が物議を醸している。きっかけはジャーナリストの櫻井よしこ氏のネット番組「言論テレビ」。筆者はユーチューブにアップされた動画を見たが、櫻井氏はもし立民が政権党になったら、かつての民主党政権よりも「もっと酷(ひど)い社会になるんじゃないか」と、危機感をあらわにしていた。そればかりか「これはある意味、共産主義の行き着くところにつながっていく」と警告、法案を「何としてもつぶさなければいけない」と呼び掛けた。
その後、X(旧ツイッター)では、「立民の主張は到底受け入れ難い」と、法案を批判する書き込みが続いた。
では、なぜ「母の日」がなくなるのか。婚姻平等法案のポイントは三つある。一つは同性婚の法制化だ。もう一つは同性婚カップルの特別養子縁組など養子縁組を可能とすること。そして最後は、現行法の「夫婦」「夫」「妻」という言葉を「婚姻の当事者」に、また「父母」「父」「母」を「親」に書き換えるというのである。
背景にイデオロギー
こんなとんでもない法案が出てきた背景には、個人の「性的指向」「性自認」尊重というスローガンに象徴されるイデオロギーがある。これに基づいた社会ができれば、男女の性別・性差を前提とした言葉を使うことは「差別」として糾弾されるから、「母の日」も消えるのである。
櫻井氏も「今は父母、父、母を使っているが、これは一律に親にするという。だから、親1とか親2という呼び方にするという」と解説した。
これに対して、立民の泉健太代表はXで「婚姻平等法案には『親1、親2』なんという表現は全く無い(原文ママ)」と反論した。確かに、法案にはその言葉はない。しかし親だけでは、両親をどう区別するのか。「親1、親2」以外の言葉があるのなら、それを示すべきで、泉氏の反論は揚げ足取りにすぎない。
この法案が意味するところに気づいていないのか、それとも国民の目をごまかすためなのかは分からないが、泉代表は12日、「今日は『母の日』。わが母、子供たちの母、すべてのお母さん、ありがとう」と、Xに書き込んだ。これにはすかさずリプライがあり、「失礼ながら、党の方針とは違うのでは?
『母の日』という性別を明らかにするのは差別になるので『親1、親2の日』とすべきなのでは?」と、皮肉られる始末だ。
言葉狩りを煽る法案
民法から父母を消しても、私生活での使用を禁止するわけではないとの反論が出てきそうだが、公人及び公的場では使えなくなるのは必定。教師が「明日は『母の日』ですね」なんて口を滑らせれば、ゲイカップルから「母は差別用語だ」と、抗議が入るのは目に見えている。
言葉狩りを煽(あお)る法案を提出した野党第1党が、先の衆院3補欠選挙に全勝して勢いに乗り、自民党から政権奪取を図ろうというのだから空恐ろしい。だから、改めて櫻井氏の警鐘の言葉を紹介する。
「婚姻平等法案は突き詰めていくと、家族を破壊してバラバラの個人をつくっていく。これはある意味、共産主義の行き着くところにつながっていく」
家庭という土台や家族の絆を失った個人は、国家の支配を受けやすい。そうなったら共産主義者(全体主義者)の思う壺(つぼ)。だから“立憲共産党”と揶揄(やゆ)されるのである。
(森田清策)