新年度が始まって40日、日本の「危殆」を綴ったさだまさしのコラム

高齢者のイメージ(Unsplash)

社会が育てた「心根」

新年度を迎えて先週、40日が経(た)った。キリスト教では40は神の数字とされ、ノア、モーセ、ダビデや預言者、そしてイエスの生涯にしばしば40日や40年が登場する。それにあやかって4月以降の紙面に何か「啓示」でもなかったかと振り返ってみた。すると、シンガーソングライターのさだまさしさんの言葉が心に浮かんだ。産経4月14日付1面の「日曜コラム」で「名前のない怪物」と題し日頃の思いを綴(つづ)っていた。ざっくり紹介するとこうである。

―日本人は危殆に瀕している。面倒な仕事を嫌い、汗をかいてまでの大変な仕事はしたがらない。昭和の子供は「お金は汚いもの」と教わったが今は違う。殺人犯になろうとも簡単にお金を手にする道を選ぶ若者が現れた。拝金主義の末路だ。老人のなけなしのお金を掠め取って恥じぬ神経は、学校教育と家庭教育の賜物。彼らの不気味な「心根」こそ社会が育てた名前のない怪物だ―

さらにこう綴る。―自分の都合が全てに優先するという考え方は怪物の顔の一つ。誰が迷惑を被ろうとも自分の都合を押し通そうとする。昔は利己主義と軽蔑したものだが、怪物は自分の心の都合が最優先されないとなると屈折して様々(さまざま)な形の牙を剥(む)く。SNSでは誰とも会わずに済む「覆面」の卑劣さを発露する。時代劇では「卑怯者!名を名乗れ」と言うが、今は勧善懲悪も鼻先で笑う時代になった―

こんなふうにさださんは嘆じていた。それで19世紀のフランスの政治思想家アレクシス・ド・トクヴィルの言葉がよぎった。「個人主義は、初めはただ公徳の源泉を涸らすのみである。しかし最後には、他のすべてのものを攻撃し、破壊し、そしてついには利己主義のうちに呑み込まれるようになる」(井伊玄太郎訳『アメリカの民主政治』講談社学術文庫)。個人を金科玉条とする戦後憲法の下で、日本は「最後」の様相を呈しているのだろうか。

超人口減社会へ警鐘

4月には民間研究機関「人口戦略会議」が若年女性人口の減少率を基に全国744(全自治体の4割強)が「消滅可能性自治体」に陥っていると警鐘を鳴らした(各紙・同25日付)。これをさださん風に言えば、昔は「わが子に勝る宝なし」「貧乏の子沢山」と言ったものだが、それが豊かになった果ての非婚・少子化による超人口減社会の出現である。これでは消滅自治体どころか国家消滅になりかねない。これも「自分の心の都合が最優先」の結果ではあるまいか。

ところが、朝日はこう言う。「『消滅』恐れるより、個の尊重大切に」(同25日付「視点」)。「天声人語」もこう言った、「(人口戦略会議の)分析結果に正直、げんなりした」「そもそも女性は、子どもを産むためだけに存在しているのではない。『個人』の幸せのために、生きたいように生きたいのだ」(同29日付)と。

もとより女性は子供を産むためだけに存在しているのではなかろう。が、「生きたいように生きたいのだ」の心根はどうだろう。そこには自分の都合が全てに優先するという怪物の顔が見え隠れしてはいまいか。そう捉えるのは筆者一人だけだろうか。

リベラル紙の「平安」

さださんは「怪物の卵は平和・安全への油断と共に誰の心の奥にも潜む」と戒めている。そういえば、古代イスラエルの指導者らはバビロニアによって滅ぼされる直前まで、「平安がないのに、『平安、平安』と言っている」と旧約聖書にある(エレミヤ書6章14節)。その油断の結果、バビロン捕囚の憂き目に遭った。朝日や毎日などのリベラル紙も同様に、憲法9条があれば平和が守れる、「平安、平安」と言っているように聞こえてくるがこれは空耳だろうか。

「どんな苦労でも我慢出来ることを仕事に教わった。これ程の幸せは無いと、天の神様に心から感謝しているところ」。さださんはそう結んでいた。それだから「啓示」のように心に響いてくるのである。(増 記代司)

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