産経や読売にもない
4月28日はサンフランシスコ講和条約が1952年に発効し日本が主権を回復して72年の記念日だった。同日付の各紙に目を通してみたが、これを扱った記事は保守の産経や読売にもない。新聞は左右を問わず、そろって主権回復の日を忘却の彼方に葬り去ってしまったようだ。
産経の「正論」(26日付)で東大名誉教授の小堀桂一郎氏が「主権回復記念日運動の再出発」と題して、この日を「国民の祝日」に制度化する意義を「この記念日を発条(ばね)として日本が真の独立主権国家であるとの意識を涵養し、その自覚を広く民間に弘めたいとの念願に発した事だ」とし、こう述べている。
「第一に軍事占領の終結以来70年余も引摺つたままの敗戦国根性を根柢から叩き直し、歴史認識問題で優位に立つ事。殊に政治家と自衛隊員の靖国神社参拝に関して近隣諸国の内政干渉と左翼ジャーナリズムの対敵迎合言論を圧伏し、日本人の精神風土の純粋性を守り抜く事である」
先に朝日は「大東亜戦争」の呼称が連合国軍総司令部(GHQ)の命令で禁止されているとして、この呼称を使った自衛隊部隊を批判した。GHQ命令はサンフランシスコ講和条約に伴う日本の主権回復でとっくに失効しているはずなのに平然と持ち出している。靖国神社はもとより教育勅語でもそうだ。こういう態度は小堀氏が指摘する「敗戦国根性」の典型だろう。
立民・小沢氏の正論
だいたい終戦から歴史を区切って「戦後〇年」と呼ぶのはおかしな話だ。終戦の45年から独立国家となったサンフランシスコ講和条約発効の52年までの7年間は「軍事占領時代」と画するべきだ。主権を有さず、占領下という戦争の延長だったからだ。それを曖昧にするから敗戦国根性から抜け出せないのではないか。
それで四半世紀前のことを思い出した。2000年11月に衆議院に憲法調査会が設置され、参考人聴取が持たれた際、石原慎太郎氏(当時、東京都知事)はこう言った。
「今、国会ですべきことは、歴史を踏まえて国家の自立性を再確認しながら、この憲法を歴史的に否定することだ。決して私たちが望んだ形で作られていないことを確認して、国会で否定すればよい」
現役最古参国会議員である立憲民主党の小沢一郎氏は持論をこう述べていた。「占領下に制定された憲法が独立国家になっても機能しているのは異常である…サンフランシスコ講和条約が締結され国際的に独立国として承認されたことを契機に、占領下に制定された憲法は無効であると宣言し、もう一度、大日本帝国憲法に戻って、それから新しい憲法を制定すべきであった」(「日本国憲法改正試案」=文藝春秋1999年9月号)
小沢氏はその新しい憲法が現行憲法でもよいとし、独立国としての矜持(きょうじ)を説いた。今もこの考えに変わりがないかは知らないが、正論だろう。
国会議員も熱意失う
そもそも国際法(ハーグ条約=07年)は占領地の現行法規を尊重する義務があるとしている。だから同じ敗戦国でもドイツ(西ドイツ)は占領下で憲法を制定せず、暫定的にボン基本法を作り「(同法は)ドイツ国民が自由な決定によって議決した憲法が効力を発する日において、その効力を失う」と規定した。またフランス共和国憲法は「いかなる改正手続きも、領土の保全に侵害が加えられている時には開始されない。また続行されない」としている。奇っ怪なことにこういう常識が日本では非常識なのだ。
小堀氏が「主権回復記念日運動の再出発」と言うのは、2013年に当時の安倍晋三内閣が政府主催で「主権回復記念日国民集会」を催した以後は式典開催どころか、記念日制定を目指して結成されたはずの国会議員連盟の諸氏もいつか熱意を失ってこの運動から離れ去ってしまったからだという。保守紙の無関心もそうだとすれば「敗戦国根性」は根深いと言うほかない。
(増 記代司)