日米首脳会談の社説から抜け落ちた「ショー・ザ・フラッグ」の視点

空自・入間基地を視察に訪れ自衛隊員らに訓示するNATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長 =1月31日午前、埼玉県
空自・入間基地を視察に訪れ自衛隊員らに訓示するNATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長 =1月31日午前、埼玉県

感謝広告に日本なし

元統合幕僚会議議長の西元徹也氏の訃報が11日付の新聞に載った。毎日は「3日死去。葬儀は家族で営んだ。喪主は長女宮奈香織(みやな・かおり)さん」と、僅か4行の短文だった。1992年に自衛隊を国連平和維持活動(PKO)に初めて派遣した当時の陸上幕僚長で、自衛隊の海外活動に先鞭(せんべん)を付けた苦労人だが、このことを記したのは読売と日経だけ。それも短文だったので、いささか寂しさを覚えた。

91年の湾岸戦争で日本は総額130億ドル(約1兆5500億円)の巨額資金を多国籍軍に提供したが、イラクから解放されたクウェートが米国の新聞に掲載した感謝広告「クウェート解放のために努力してくれた国々」に日本の国名がなかった。当時、国際社会とりわけ米国が唱えたのが「ショー・ザ・フラッグ」(日の丸を見せろ=人を出せ)だった。それを契機に自衛隊の国際貢献議論が高まり、PKO協力法が成立した。

これに対して「戦争に巻き込まれる」と猛反対したのが朝日などの左派紙だ。憲法9条を盾に海外派遣を「派兵」と呼び、まるで軍国主義が復活するかのように騒ぎ立てた。自衛隊のカンボジア派遣を巡っては、国会で機関銃を何挺(ちょう)所持させるかが大論争となり、岩垂寿喜男・社会党衆院議員(当時)の「2挺は武力の行使になる」との訳の分からぬ主張に押され、1挺のみの所持となった。カンボジアには選挙監視のために文民警察官も派遣されたが、防弾ヘルメットも高性能防弾チョッキも「武器の輸出に当たる」として着携できず、高田晴行警視の殉職を招いた。

保守紙にも問題あり

そんな騒動の中で西元氏は自衛隊の初の海外派遣をやり遂げ、退官後の2002年に元自衛官らと「日本地雷処理を支援する会」(JMAS)を設立し初代会長に就任。世界各地で地雷や不発弾処理の支援活動を行ってきた(現在、4カ国で実施)。自衛官だったプロだからこそ行える「日本人の顔の見える人道支援」である。同会のロゴは「JMAS」のJを「日の丸」の赤色にし、ショー・ザ・フラッグを示している(同会ホームページを参照)。

ショー・ザ・フラッグは今般の日米首脳会談を論じる各紙社説や解説でもすっかり抜け落ちていた。安保・軍事に後ろ向きの左派紙は「説明なき一体化の加速」(朝日)、「問われる日本の外交戦略」(毎日)と話を逸(そ)らし、足を引っ張ることに汲々(きゅうきゅう)とする。かつてのPKO協力法論議と同様、聞く必要はさらさら感じない(いずれも12日付、以下も)。

問題は保守紙だ。読売社説は「最大の特徴は、自衛隊と米軍をより一体的に運用できるように『指揮統制』のあり方を見直す方針を決めたこと」と指摘し、産経主張は「抑止力向上の合意実践を」と迫る。だが、それには避けて通れない集団的自衛権行使について読産共深入りしない。

日経社説は「米議会演説が問う日本の覚悟」と覚悟を俎上(そじょう)に載せている。岸田文雄首相が米議会演説で「平和には覚悟が必要だ」と語り、内向き志向を強める米国に寄り添う姿勢を示したとするが、その中身は「日本企業の対米投資による雇用拡大を訴えた」ことで、日経の問う覚悟もどうやらカネの話らしい。

軍事同盟は血の同盟

かねてから安倍晋三氏はこう問うていた。「軍事同盟というのは“血の同盟”です。日本がもし外敵から攻撃を受ければ、アメリカの若者が血を流します。しかし、今の憲法解釈のもとでは、日本の自衛隊は、少なくともアメリカが攻撃されたときに血を流すことはないわけです…これが完全なイコールパートナーと言えるでしょうか(『この国を守る決意』扶桑社)。

これがショー・ザ・フラッグの真の意味だろう。集団的自衛権行使にまで踏み込んでこその日米同盟だ。保守紙も画竜点睛(がりょうてんせい)を欠く。集団的自衛権行使容認を訴えていた西元氏もそう思われるに違いない。ご冥福を祈りたい。

(増 記代司)

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