うわべだけの新聞記事
昨今の新聞記事は、話が断片的すぎて物事の本質に迫っていないように感じる。うわべだけで時代の流れが読めない。きょうにも成立する経済安保を巡る法案への論評がその典型ではなかろうか。
同法案の正式名は「重要経済安保情報の保護及び活用に関する法律案」。確かに名称が長い。セキュリティー・クリアランス(適格性評価)法案と表記したりするが、これもカタカナ表記で見出しにそぐわない。そこで「機密保護法」(日経)とか、「適性評価法」(読売や本紙)とか、さまざまに呼ぶが、これとて分かりづらい。
同法案が衆院内閣委で可決すると、朝日ネット版は「セキュリティークリアランス法案、衆院内閣委で可決 立憲も賛成」(5日14時掲載)と伝えたが、翌6日付紙面では「身辺調査 対象見えぬまま 保全指定、歯止めなく 内閣委法案可決」と否定的な見出しを掲げている。これには肝心の法案名がない。
これを論じた朝日1月19日付社説では「適性評価制度」と名付けていたのに(その後は社説で扱っていない)、この表記はいつの間にか消え、政治面では「身辺調査法」の一点張りだ。他紙には存在しないラベリングで、朝日政治部の悪意が透けて見える。
だが、他紙もその本質から目を逸(そ)らしている。そもそも何のためにこの法制が必要になったのか。そうした記事が少な過ぎる。社説でもわずかに取り上げるのみだ。これでは読者は理解できまい。
間諜に余念ない中国
結論から言えば、法制は中国スパイ対策である。孫子はその兵法の「用間編」で間諜(スパイ活動)の重要性を説いたが、毛沢東はこれに倣って内戦時代に「帝国主義と国内の敵の軍需工業に依存すること」(『中国革命戦争の戦略問題』)をテーゼに掲げ、盛んに武器強奪を行った。
その後継者も間諜に余念がなく、胡錦濤前国家主席は1999年に「西側軍事科学技術の収集利用に関する計画」を作成し、情報収集機関を4000団体も設立した。習近平国家主席に至っては2017年に「国家情報法」を制定し、国民に国家の諜報活動への支援を義務付け、国民すべてを間諜に仕立て上げた。
それで世界中で中国スパイ事件が頻発し、ドイツでは「ほぼ毎月、国内で中国のスパイを摘発している」(19年6月、独連邦議会監視委員会証言)との事態に陥った。そこから先進諸国では経済安全保障が問われ、わが国では19年に当時の安倍晋三内閣が内閣官房の国家安全保障局に経済担当部署を設けて対策に乗り出した。
その延長線上で21年に経済安全保障担当相が置かれ、22年に経済安全保障推進法が制定された。今回の法制はその制度運用のためのもので、安全保障に支障を及ぼす「重要経済安保情報」を新たに指定し、この情報を扱えるのは資格を持つ人に限る。言ってみれば戸締まりの強化だ。
スパイ野放しのまま
ここで賢明な読者ならお気付きになるはずだ。戸締まりも大切だが、肝心の泥棒すなわちスパイは野放しのままではないか、と。まさにそうなのだ。だが、多くの新聞はこのことに口をつぐんでいる。
わずかに産経が中国の海外闇警察を巡って「『スパイ天国』でいいのか」との主張を掲げ(3月16日付)、「スパイ活動を防止する法律がなく、同法を根拠とする本格的な防諜機関もない」と法整備の不備を指摘した。だが、経済安保については触れていない。
今回の法制を巡ってスパイ防止法の必要性を説いたのは本紙3月13日付社説のみだった。「日本の情報保護体制は、米英など英語圏5カ国で構成される機密情報共有の枠組み『ファイブアイズ』と連携する上での懸念点にも挙げられている。同法の制定も急ぐべきだ」と訴えている。
泥棒(スパイ)を野放しにして何が経済安全保障か。ここに事の本質があるはずだ。それを問わない新聞は猛省してもらいたい。
(増 記代司)