尹大統領の記念辞に込めた意味
韓国の「三・一独立運動」記念日に大統領が式典で述べる記念辞は日本に関して語られることが多かった。だが今年、尹錫悦大統領は日韓関係には言及せず、運動の根にあった「自由主義」に焦点を当てて注目を集めている。
大統領が代われば、こうした国民の記念日メッセージの内容が百八十度変わってしまうのを見ると、いつまた政権が交代して、対日姿勢が強硬に転換していくか分からないという警戒感が先に立つものだが、どうか。
月刊朝鮮(3月号)が「尹錫悦大統領三・一記念日演説の核心メッセージ三つは何」を載せた。歴史的評価が定まるのに何年かかるか、には諸説ある。三・一運動が起こった1919年から既に100年以上が経過しているが、評価が定まっているとは言い難い。歴史は後世や勝者が書くものだから、時の政権が自分に都合のいいようにいくらでも解釈できるのだ。
だが、そういった疑念を払って尹大統領の演説内容を見れば、これは尹政権が解釈を変えたのではなく、客観的で冷静な視点から運動を再評価したものと読める。左派政権が歪(ゆが)めた三・一運動の評価自体を“正常化”したと言っていいだろう。
独立運動を日本支配に対する抵抗運動という側面に注目すれば、独立闘争に立った人物は英雄として描かれる。事実、文在寅左派政権は「独立の一番の貢献者」として洪範図(ホンボムド)、金元鳳(キムウォンボン)らを挙げ、彼らを武装闘争を率いた運動家として評価した。「洪範図は1927年ソ連共産党に入党し、金元鳳は北朝鮮へ行って閣僚クラスの地位に上がった」(同誌)人物なのに、である。こうした人物を文大統領は「韓国軍の根本のように称賛した」というのだ。
一方、尹大統領は演説で、「当時世界史の大きい流れの自由主義」が三・一運動の根本にあったと強調した。運動の本流は武装闘争や共産主義思想ではなく自由主義だったという解釈だ。そうした「独立運動の合理的な評価」について、同誌は「最近起きている李承晩再評価の動きと連動されている」と述べる。
李承晩に焦点を当てたドキュメンタリー映画『建国戦争』がスター出演者もなく、製作費も小さい中で観客動員100万人を突破している。李承晩は「四・一九学生革命(60年)で亡命した独裁者」という汚名を着たままハワイで客死した。だが植民地解放後の混乱の中で自由主義を選択し、大韓民国建国(48年)とその後の発展の基礎を築いたのは紛れもない事実だ。映画を見た人たちは「長い間、李承晩を誤解していた」「自分が恥ずかしい」と感想を述べていたという。
三・一記念日スピーチで尹大統領が強調した2点目は「統一」だ。北朝鮮の金正恩総書記が「同族でない二つの敵対国家」と規定し「祖国統一」の看板を下ろしたのに対するメッセージである。つまり韓国は「南北統一は民族の悲願」であるとの方針を崩さないということを確認したものだ。
3点目は脱北者への「高い関心と配慮」。彼らへの支援を打ち切るなど冷淡だった文政権への批判が込められている。総選挙を控えて「以北人」など北にルーツを持つ有権者へのアピールという面もあるだろう。
同誌の扱いはおおむね肯定的だ。このような解釈を支持する層が政権が代わろうとも一定程度はいることを示している。
(岩崎 哲)