建国記念の日を否定し「抹殺」するソ連共産党由来の朝日のGHQ史観

毎日は「祝日」と表記

毎年のことだが、先週の祝日「建国記念の日」を取り上げた新聞は本紙と産経の2紙だけだった。本紙は10日付「国柄の原点を確認しよう」、産経は11日付「日本の由来をしのびたい」の社説を掲げ、「悠久の歴史を歩む国家の一員であることを喜びたい」(産経)と祝意を表した。

これに対して朝日と毎日は“見事”に抹殺した。とりわけ毎日は凄(すご)みを感じさせた。祝日の各紙1面は日付の下にそれを明記しており、11日は「建国記念の日」とあるが(朝日も)、毎日にはそれがないのである。

そればかりか、休刊日の社告は「あす12日は祝日の振り替え日ですので新聞製作は休み…」と、これも他紙にある「『建国記念の日』の振り替え休日」ではなく、単に「祝日」とするだけだ。そこまでやるのか、と思わず言いたくなる抹殺ぶりである。昨今の毎日は朝日追従路線を強めているが、後追いでより過激になっている。これは社の方針なのかと問い質(ただ)したい。

もっとも“歴史抹殺”は朝日が上手である。産経主張は建国記念の日の否定を「GHQと同じ発想に陥っていないか」とするが、朝日はまさにGHQ(連合国軍総司令部)史観を地でいっている。今年に入って陸上自衛隊幹部の私的な靖国神社参拝を「旧軍との『断絶』どこへ」(1月13日付)、「組織性は否定できない」(同30日付)と二度にわたって社説で批判した。そのいずれにも「(靖国は)東京裁判で戦争責任を問われたA級戦犯14人が合祀されてもいる」と記している。東京裁判を絶対視し、まるでひれ伏せと言わんばかりである。

「思想検事」的な主張

東京裁判はそれほど立派なものなのか。GHQが定めた「裁判所条例」にはインド代表のパル判事やフランス代表のベルナール判事、オランダ代表のレーリンク判事らが合法性や国際法上の適用に疑問を表し、パル判事は「全員無罪」とした。

東京裁判を絶対視する朝日に対して今年1月に亡くなった田久保忠衛杏林大学客員教授は「このふざけた裁判の取材に当たった良心的な朝日新聞法廷記者団は『東京裁判』上中下の大冊で日本の正義の声を内外にペンで訴えたことを忘れてはいけない」(産経新聞2005年6月2日付「正論」)と諭しておられる。

朝日の場合、「GHQと同じ発想」といっても、それはソ連(共産党)製である。そのことを端的に示すのが「教育勅語」を巡る言説だ。松井一実広島市長が新任職員研修の中で、教育勅語の一部を使って「博愛」や「公益」の尊さを説く講話を行ったところ、朝日は昨年12月20日付社説で「広島市長は認識改めよ」と噛(か)みついた。

いわく、「『負の歴史』の史料として触れることを除けば、教育勅語を生かす方法などあり得ない。国も自治体も、改めて確認する必要がある」。まるで思想検事である。GHQ内でこう主張したのはソ連にほかならない。

共産主義教の妄信者

GHQは国家神道を否定した「神道指令」(1945年12月)で当初、使用禁止条項に入れたが、後に削除し軍国主義と認定しなかった。教育勅語が説く徳目を普遍的なものと認めたからだ。ところが、ソ連は日本の精神的骨抜きを狙って執拗(しつよう)に廃止を要求し、これに朝日や共産党が追従し一斉に廃止論を唱えた。結局、米国もこれに屈し失効に追いやられた。

建国記念の日も同様だ。由来は紀元節(神武天皇の即位日)で片山哲内閣は47年、日本国憲法にふさわしい祝日の法案に紀元節を「建国の日」として盛り込んだが、GHQは天皇を中心とした日本の団結力を高める恐れがあるとして認めなかった(2月11日が建国記念の日とされたのは67年)。朝日は今も執拗に抹殺を企てている。

要するに朝日はGHQ教それも共産主義教の妄信者なのだ。その追従者である毎日も同類。そこから自ずと反日新聞となるのである。

(増 記代司)

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