桐島容疑者逮捕で語られない文世光事件と政治・メディアの不作為

警備に当たる海外の警察のイメージ(Photo by Baudouin Wisselmann on Unsplash)
警備に当たる海外の警察のイメージ(Photo by Baudouin Wisselmann on Unsplash)

三菱重工の半月前に

それにしてもメディアの感度の低さに驚く。1974~75年の連続企業爆破事件で指名手配された「東アジア反日武装戦線」の桐島聡容疑者の一件である。神奈川県内の病院に入院中に名乗り先月29日に死亡した男のDNA鑑定で、ほぼ本人で間違いなさそうだ(各紙3日付)。それで朝日は「『事件』『逃亡』語らぬまま」(1月30日付)とするが、語らないのは新聞も同様だ。まるで一件落着のような報じようである。

爆弾グループの犯行を生んだのは政治とメディアの不作為が背景にある。50年前の話で現役記者はぴんとこないかもしれないが、問題は今に続いている。そのことを「語らぬまま」では済まされない。

第一に、新聞は今回の報道で文世光事件を語らない。連続企業爆破の最初のテロである三菱重工ビル爆破事件(死亡8人、負傷376人)が起こったのは74年8月30日だが、半月前の同15日に在日韓国人、文世光による朴正煕韓国大統領銃撃事件(陸英修夫人ら死亡)が発生している。

文世光は68年に爆弾教祖といわれた太田竜の創設した「レボルト社」(「世界革命運動情報」発行)を訪問、ここで朝鮮革命を学んでおり、同社で活動していた東アジア反日武装戦線「狼(オオカミ)」の佐々木規夫(日本赤軍に合流、国際手配中)らとは同志の関係だった。佐々木らは70年代初めに北朝鮮の在日組織・朝鮮総連が日本人工作員を獲得するために組織した「朝鮮研究会」に入っている。「東アジア」は北朝鮮に由来する。文世光事件こそ最初のテロだ。

朝鮮総連を捜査せず

74年2月に文世光は東京都足立区にある朝鮮総連系の赤不動病院に偽装入院し、そこで狙撃訓練を行い、同5月に大阪港に入港中の北の工作船「万景峰号」の船内で朴大統領の暗殺指令を受け、大阪府警高津派出所から犯行用の拳銃を盗んだ上、日本人「吉井行雄」として難なく韓国に入国し、銃撃に及んだ。

吉井なる人物は実在する。北の対日工作組織「金イルソン主義研究会」の関西責任者として81年9月に「金日成主席著作研究会全国連絡会議訪朝団」の秘書長として2週間にわたって北を訪問し、朝鮮労働党の指導を受けている。

第二に、新聞は文世光・連続企業爆破事件を招いた「政治の不作為」について語らない。韓国は日本を通じた北の対韓工作に危機感を抱き、文世光事件の3カ月前の同年5月に日本政府に朝鮮総連の取り締まりを求める口述書を提出した。だが、当時の田中角栄内閣は「日中国交(72年)の次は日朝国交」の思惑から取り合わなかった。

田中内閣は事件後、韓国側から提示された捜査結果を無視して単独犯行説を採り、朝鮮総連に対する強制捜査も規制も行わず、北の工作活動を野放しにした。この時徹底捜査していれば、爆破事件を未然に防げた可能性がある。

拉致を繰り返した北

第三に、新聞は「韓国=悪」「北朝鮮=善」説に立って北の対日工作を事実上容認する不作為を犯したことを語らない。朝日は71年9月に編集局長が訪朝し、日本のメディアで初めて金日成主席と会見し、以降、北礼賛記事を書き続けた。読売は77年4月に編集局長が訪朝し、金日成主席と会見し賛美記事を掲載した。保守系の読売でさえこの体たらくだった。

横田めぐみさんが拉致されたのはその半年後の11月のことだ。それ以降、北朝鮮は大手を振って日本人拉致を繰り返した。産経は80年1月に「アベック3組ナゾの蒸発」(78年夏の蓮池薫さんらの拉致事件)を報じたが、他紙は無視。「メディアは死んでいた」(初報の元産経記者、阿部雅美氏)のである。

今もスパイ防止法は存在しない。朝日などの左派紙は同法制定に猛反対だ。桐島聡事件はその深刻な実態を浮き彫りにする機会なのに新聞は沈黙する。この感度の低さは不作為というより幇助(ほうじょ)(他人の犯罪の遂行に便宜を与える)と思えてしまうのである。

(増 記代司)

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