党勢挽回狙った演出
かつて日本共産党は「泡沫(ほうまつ)政党」だった。1950年代は火炎ビン闘争(暴力革命)に明け暮れ、議会とは縁がなかったが、60年の反安保闘争で息を吹き返し、国会はもとより地方議会にも候補者を立てた。だが、当選ラインを遥かに下回る「泡沫」に終始した。それで考えついたのが人寄せの女性候補で、とりわけ地方選挙では盛んに擁立するようになった―。
そんな遠い記憶が蘇(よみがえ)ったのは、先週の党大会で同党初の女性委員長に田村智子氏が就いたからだ。その訳を朝日が見出しに取っていた、「低迷の共産 刷新演出」(19日付)と。今回の人事は朝日に言われなくても誰が見ても演出だと知れる。党員も機関紙も票もすべて下落した党勢の挽回を狙った「人寄せ委員長」に他ならない。
委員長を退任した志位和夫氏は17年間空席(前任は不破哲三氏)だった議長に就き、党の実務を担う書記局長はかつて田村氏をパワハラした小池晃氏が留任。田村氏は上からと下からのサンド委員長で、外向きは笑顔でも党大会では異論を居丈高に指弾してみせた。
民主集中制のみ焦点
もとより「敵の出方論」という暴力革命路線を内に秘めている。だから「公安調査庁は共産党を破壊防止法に基づく調査対象団体としている」(林芳正官房長官)。ところが、朝日は「党を開く変革伴わねば」、毎日は「開かれた党へ体質刷新を」(いずれも19日付社説)と組織内の規約(民主集中制)のみに焦点を当て、革命路線を不問に付す。この規約をもたらしている「共産党」という共産主義を冠する政党の本質について社説も記事もまったく触れないのである(産経と本紙は指摘している)。
その極め付きは朝日の「いちからわかる」と題する問答式の解説だ。「結党100年を超す共産党 どんな政党?」との見出しで次のように書く。
「今の国政政党で最も古く、1922年に創立、ソ連共産党の指導するコミンテルンの日本支部として承認されたが、戦前は非合法組織として弾圧された。戦後の民主化で出獄した徳田球一や宮本顕治らによって再出発。2022年に結党100年を迎えた」
これは共産党史観をなぞったものにすぎない。ロシア革命(17年)で皇帝ニコライ2世一家をはじめ、おびただしい数の貴族や僧侶、資本家たちを殺害した共産主義者らがつくったのがコミンテルン(国際共産党)で、その加盟21カ条では「内乱へ向けての非合法的機構の設置」(第3条)を義務付ける。それでコミンテルン日本支部(共産党)が真っ先に掲げたのが「天皇制廃止」だった。普通選挙法に合わせて治安維持法(25年)が制定されたのはその意味で当然だろう。
併合罪だった宮本氏
実際、共産党は32年テーゼ(綱領)で「(満州事変の)戦争を内乱に転化し、ブルジョア=地主的天皇制の革命的転覆を招来する」ことを党の任務とし、内乱に向けた闘争資金獲得のため東京・大森で銀行襲撃事件などを引き起こした(同年10月)。
当時、機関紙「赤旗」の編集責任者だった宮本顕治氏は「スパイに鉄槌を下せ」と檄(げき)を飛ばし、33年12月には自ら「宮本が殺った」(袴田里美元共産党副委員長の証言=週刊新潮78年2月2日号)という「リンチ人殺し」まで仕出かした。宮本氏の罪状は治安維持法違反だけでなく傷害致死罪、銃火法違反等々の「併合罪」だ。治安当局がこれを取り締まって弾圧と言われる筋合いはない。朝日は歴史を歪(ゆが)めている。
左派系の地方紙も朝日や毎日と同じスタンスだが、日頃から「赤旗」ばりの論陣を張る東京がなぜか社説をスルーしている(21日現在)。党人事を褒めれば馬脚を現し、「開かれた党」を求めれば党員記者が分派批判にさらされる。それで筆が止まったか。むろん筆者の想像だ。
(増 記代司)