KADOKAWAの刊行中止 “検閲”に屈し汚点残す

米国の女性ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアーはX(旧Twitter)の投稿でKADOKAWAの対応についてコメントしている
米国の女性ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアーはX(旧Twitter)の投稿でKADOKAWAの対応についてコメントしている

性別違和の「不都合な事実」隠すな

毎年、年末になると、新年に論壇で議論されるであろう、国内外のさまざまなテーマについて識者が意見を述べる本が幾つか出版される。「文藝春秋」「2024年の論点100」もその一つだ。

その中で、米国に住むジャーナリスト(英国人)で、『大衆の狂気』の著者ダグラス・マレーが「過剰なリベラリズム “大衆の狂気”が社会から自由を奪う」と題した論考を寄せている。

ゲイ(男性同性愛者)を公表しているマレーは、1960年代に始まったゲイの権利運動は今日、ほとんどの先進国で「ひどい不公正を正すという大きな成功を収め、これ以上続ける必要がない瞬間があったのに終わらなかった」と述べている。同性愛当事者の権利がある程度認められたと感じているのは「同性婚」の制度化に至ったことが大きいのだろう。

だが、この見方に、日本の同性愛者は、わが国の事情は違う、同性婚が認められていないのだから、LGBTの権利運動は西欧先進国の周回遅れだ、と主張するはずだ。

ところがである。ゲイの権利はある程度認められて、これ以上続ける必要がなかったとするマレーは「トランスジェンダーの権利などを主張する形で続いていることに驚くばかりです」と述べて、現在のトランスジェンダーの権利運動は行き過ぎだと疑義を呈している。

そして「多様性はたしかに重要です。しかし、『多様性』こそが正義であり、それ以外を一切認めないというのは、過剰というほかありません。独断的思想は自由を抑圧し、誰のためにもならない」と訴える。

これは論議を呼びそうな論考だ。トランスジェンダーと聞くと、多くの読者は性同一性障害を思い浮かべるだろうが、その概念は広い。性同一性障害の場合は、体の性に強い違和感を持つが、体の性に違和感を持たなくても、自認する性が体の性と違えばトランスジェンダーに入るし、自分が異性装をすることに性的な刺激を覚える人もトランスジェンダーの枠組みに入る、とされる。

トランスジェンダーとは誠に厄介な概念なのだから、それを自認する人たちの権利主張も多様である。ある権利主張については「過剰」あるいは「危険」との意見が出てきても無理からぬものがある。しかし、その意見を認めない排他的な考え方を「独善的思想」とするマレーの主張を絶対に受け入れない当事者が存在する。

具体的に説明すると、例えば性自認が女性であるなら、「女性」と認められないのであれば、差別されていると感じている人たちだ。これは性自認至上主義と呼ばれるものだが、日本はLGBT運動の“後進国”だから、性自認至上主義を取る先進国を見習えと主張するのである。

当事者からすれば、日本のLGBT運動は周回遅れとなるが、独善的思想の「狂気」はすでに上陸している。トランスジェンダーの安易な性転換の悲劇について書かれた本の翻訳本刊行が突如中止となった問題だ。

原書は米国の女性ジャーナリスト、アビゲイル・シュライアーが書いた『不可逆的なダメージ』。2020年に米国で出版され、すでに10カ国語に翻訳されている。米国ではベストセラーとなっている。

LGBT先進国では、トランスジェンダーだと主張する人間の要望に沿って、性転換手術やホルモン投与などが行われている現状がある。しかし、原書のタイトルでも分かるように、手術や薬物投与のダメージは取り返しがつかず安易に行うのは危険だ、と“トランスジェンダーブーム”に一石を投じたのが『不可逆的なダメージ』だ。このため、保守派から高い評価を受ける一方、左翼からは批判されている。

日本における翻訳本の刊行は、KADOKAWAが『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』のタイトルで、1月24日に予定していた。ところが昨年12月、中止を発表。トランス差別を助長してしまう、というのがその弁明だったが、背景に激しい抗議活動があったことは、状況から判断して疑いようがなく、活動家らによる“検閲”に屈した形となってしまった。

この問題は、論壇に衝撃を与えた。月刊誌2月号で、保守系の「Hanada」「WiLL」が関連論考を掲載。前者では、福井県立大学名誉教授の島田洋一、後者は動物行動学研究家の竹内久美子が日本の言論史に汚点を残すものだとして、刊行中止を厳しく批判している。

ここで、筆者が疑問に思うのは、新聞・テレビは、刊行中止の事実だけ短く報じただけで、特に左派紙には、刊行中止に至った背景に触れこの問題が「言論弾圧」になるとの論評は見られなかったことだ。多様性の尊重を訴える勢力が、実は自分たちに都合の悪い事実や意見を抹殺したがっているとの認識がないのか、それとも抗議活動の刃(やいば)が自分たちに向かってくることを恐れてのことなのか。筆者には後者のように思える。

では、なぜシュライアーの著書刊行に抗議が殺到したのか。米国の場合、トランスジェンダーだと主張するのは思春期の少女が多く、その背景にはトランスジェンダーをもてはやすSNSやLGBT教育の影響など、環境要因があることを指摘していることが一つある。

例えば、島田は心理学者リーサ・マーキアーノの分析を紹介している。「精神的不安定に襲われた児童は、その時代時代において最も受け入れられやすい理由に原因を求め、訴えようとしがちで、それが現代では性別違和になっている可能性が高い」というのである。

もう一つは、精神的に揺れやすい思春期の少年少女に、性転換手術やホルモン投与を行うことの危険性を実例を挙げて指摘しているからだ。島田は「この十数年来、性別違和を扱う北米のセラピストの世界では『肯定的ケア』(affirmative care)が支配的潮流となってきた。リベラル派が強い州においては、異論を許さない『神の宣告』に近い様相すら呈している」と、米国の実情を説明する。

肯定的ケアとは、何かと言えば、例えば「性別違和」を訴えるのが女子なら「様々な複合的悩みに囚(とら)われた女子と見るのではなく、女子の肉体に囚われて苦しむ男子と見なければならず、自分はトランスジェンダーだという自己診断をそのまま受け入れて、異性ホルモン投与や性転換手術に進むのが正しいとする立場」だという。

周回遅れの日本のLGBT運動が理解増進法などの施行によって米国に追い付いていくとすれば、米国と同じような肯定的ケアが主流になる可能性がある。ただ、周回遅れだからこそ、その「不都合な事実」も米国から学べる。その格好のテキストとなるのがシュライアーの著書だが、それは性自認至上主義を推し進めたい勢力にとっては隠したい事実なのだ。

また、生得的要因か環境要因かという議論はその他の性的少数者にも波及する問題で、現在のLGBT運動のパラダイムを変えるほどの影響を与える。もし、性的少数者は環境要因によって増えることが事実だとすれば、理解増進法によって今後活発化することが予想されるLGBT教育や同性婚の制度化は日本におけるLGBT問題をさらに困難なものにするだろう。

性的少数者と環境要因の関連性についての議論を深めるためにも自由な言論・出版活動を保障されることが重要である。KADOKAWAに代わって『不可逆的なダメージ』の翻訳本を刊行する出版社が現れることを期待したい。(敬称略)

(森田 清策)

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