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韓国「586運動圏」の素顔 「民主」とは程遠く

祖国解放戦争(朝鮮戦争)の勝利70周年を祝う軍事パレードを主宰する北朝鮮の金正恩総書記(KCNA/UPI)
祖国解放戦争(朝鮮戦争)の勝利70周年を祝う軍事パレードを主宰する北朝鮮の金正恩総書記(KCNA/UPI)

退出を求める声が高まる

韓国では4月の総選挙を控えて「586運動圏退出の声が高まっている」と言う。「586」とは2010年ごろ50代となり1980年代の学生運動に関わった1960年代生まれの世代をいう。「運動圏」とはその学生運動を担った核心運動家たちを指し、その後、司法、労働、教育、メディアなど社会の各界各層で主流となっていった世代のことだ。

特に政界では盧武鉉、文在寅などの左派政権で大統領府や国会、自治体の長といった国の中枢を占め、「従北親中、反日離米」外交を展開し、内政では“左翼理論遊び”次元の経済政策を推し進めて韓国社会に大きな分断をつくっただけでなく、自由民主陣営との少なくない軋轢まで生じさせた。その彼らに対して韓国社会が「そろそろ引退してもらおうか」と言い出した、ということだ。

月刊朝鮮(1月号)で裴振栄(ペジニョン)記者が「金日成に忠誠を誓った586政治家たちを扱ったスリラー小説『ドボク』」を紹介している。『ドボク』を説明しておくと、これは「韓国に派遣された北朝鮮工作員が韓国内の定着スパイに渡す物を隠す秘密の埋設地」のことだ。

この小説は、運動圏学生たちが、単にマルクス・レーニン主義を勉強するだけでなく、北朝鮮の「主体思想を受け入れるのみならず、北朝鮮工作員らと接触して、労働党に入党しながらも、その事実を隠して、今日の政治の主役として振る舞っている世代に対する話」を扱っている。いわば韓国政界に巣くう「北朝鮮の意を体した工作員」を暴露するという話である。

隔世の感がある。ついこの前までの左派政権下では雰囲気はまったく逆だった。運動圏を肯定する小説や映画が数々と制作されていたのだ。80年の光州事件を扱った『華麗なる休暇』(07年、邦題『光州5・18』)や『タクシー運転士』(17年、邦題『タクシー運転手 約束は海を越えて』)とか、87年の民主化運動を描いた『1987』(17年、邦題『1987、ある闘いの真実』)などがそうだ。

これらは左派の観点から「暴動」を「民主化運動」と呼び変え、軍事政権の非道を告発する式の内容ばかりだった。最近話題になっている『ソウルの春』も1979年の粛軍クーデター(12・12事件)を描いて、全斗煥保安司令官を悪役としていた。朴正熙大統領暗殺事件を扱った『KCIA』(20年、邦題『KCIA 南山の部長たち』)も軍事政権の腐敗を描いていた。

ところがである。裴記者は「最近出てくる小説はその時期の運動圏の偽善を苛酷(かこく)に批判する」ものに変わってきているとし、小説『道林川ソナタ』や『86年度入学生スンヨン』といった作品を挙げて、運動圏内で繰り広げられていた腐敗や不正、不条理などを赤裸々に暴くようになってきたと指摘している。

『86年度入学生スンヨン』(パク・ソンギョン著、2023年)について書かれた同誌の別の記事「586の素顔は民主とはほど遠く」(パク・ジヒョン記者)はもっと凄(すさ)まじい。学生運動に取り込まれ、運動圏リーダーの「性の慰み物」にされていく女子学生を描いている。小説の形を取っているが実在モデルのいる話だ。

「人権を叫んだが内部的に女性は運動圏リーダーグループの性欲のはけ口だったという点、表面では独裁打倒、民主化を叫んだが、組織は徹底的に階級的であったという点を赤裸々に告発しながら、彼らの“偽善”という本質を引き出した」

リーダーの男たちは今では大統領府スタッフや国会議員、知事になっている。2019年、安熙正元忠清南道知事が長年にわたって女性秘書に性的暴行を加えていて有罪判決を受けたが、彼もその一人だ。

革新、民主、平等などを叫びながら、女性には厳しく貞節を求める一方で、男は奴婢(ぬひ)にしたい放題だった両班(貴族、旧時代)と何ら変わりはない実態がそこにある。

作家のパク・ソンギョンは次には「反日」について書くという。「国民の意識を縛っていた反日運動は国を重い病にした」「憎悪だけを続けて量産した」その問題点を指摘するつもりだという。しっかりと描き出してほしい。

(岩崎 哲)

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