従来の新聞から脱却
読売は今年、創刊150周年(1874年)を迎える。それに機に「読売行動指針」を新たに発表した(6日付)。そのキャッチフレーズが「新聞社を超える新聞社」としていたから興味を引かれた。
指針は「民主主義の発展に寄与する公益性を維持し、今後も社会的責任を果たす覚悟と、従来の新聞社像にとらわれずに挑んでいく決意」から「新聞社を超える新聞社」を目指すとしている。既存の「読売信条」でうたう公正報道と責任言論を踏まえ、次世代が希望を持つための価値観として「謙虚な心を持とう。他者への敬意は視野を広げる」といった「謙虚」や「信頼」「挑戦」など6カ条を掲げている。まるで教育基本法の「徳目」を思わせるが、規範教育が希薄な次世代に必要な指針ということだろう。
ここで注目したいのは朝日の記者行動基準にある「権力を監視」するといった肩肘張った文言が一切使われていないことだ。権力監視は「従来の新聞社像」の象徴だが、読売はそこからの脱却を目指すことを明確にしたようだ。
「謙虚」と無縁の新聞
戦後、新聞は「国家は階級支配の機関であり、一つの階級による他の階級の抑圧機関」(レーニン『国家と革命』)とするマルクス主義「階級国家」観の影響を受け、「権力の監視」を新聞の使命とし、独りよがりな正義感で世論(大衆熱情)を煽(あお)り、「第四権力」と呼ばれた。「謙虚」などは新聞には無縁の言葉で、その意味でも指針は評価されてよい。
元来、読売には「提言報道」がある。1994年1月の「読売憲法改正試案」が最初で、同案では自衛隊の存在を明記し、「国際協力」に関する条項新設を唱えた。2000年5月には阪神大震災と地下鉄サリン事件を踏まえ「改憲2000年試案」をまとめ、新たに緊急事態条項や家族保護条項を加えた。21年には新型コロナウイルスを巡って29回目の提言を行っている。「新聞社を超える新聞社」はこうした提言をさらに推し進めるのか。この点も注目したい。
保守紙では産経が昨年、創刊90周年(1933年)だった。同紙は民主主義と自由を守ることを第一義に掲げ、「国の存立や国民の生活を脅かすような革命には絶対反対」とし、軍国主義や「社会主義諸国にみられるような一党独裁の全体主義をも拒否」するとしている。
まるで「望月化宣言」
一方、東京は今年、創刊140周年(1884年)を迎える。元日に「年のはじめに考える 創刊140年『紙齢』の重み」と題する社説を掲げ、「140年という歴史には信頼を裏切り、読者や国民を結果的に間違った方向に導いたこともあった」とし、「近隣国や交戦国に多大の犠牲を強いた先の戦争を巡る報道・論説」を謝罪し、「自衛隊の国軍化許さぬ」(14年7月1日付社説)「(安倍内閣の)安全保障関連法に反対」(15年9月19日付社説など)を紹介し、「権力を監視する、戦争や原発への反対を貫く」と気勢を上げている。
東京といえば、望月衣塑子記者が昨年6月、入管難民法改正案を採決した参院法務委員会で野党議員と共に大声を張り上げ同法反対を唱えて議事妨害し、「活動家記者」とひんしゅくを買った。17年9月には菅義偉官房長官(当時)記者会見で私見や臆測を織り交ぜて的外れの質問を連発し、首相官邸報道室が東京に再発防止を求める注意喚起の書面を出したこともある。
これらに東京は一切対応せず望月氏を看板記者に仕立てている。元日社説は社を挙げての「望月化宣言」のように読める。中身は日本共産党機関紙「しんぶん赤旗」と歩調を合わせるかのような反自衛隊・反原発論で、「第2赤旗宣言」にも等しい。昔の間違った方向は認めても、今の間違った方向には盲目らしい。
「新聞社を超える新聞社」を目指す創刊150年の読売と、「権力の監視」に執着する創刊140年の東京。その違いを見せつけた2024年の年初めである。
(増 記代司)