「天皇訪中」「全面講和」など社説の歴史的誤謬を全く反省しない朝日

朝日新聞東京本社ビル (2023年12月撮影)
朝日新聞東京本社ビル (2023年12月撮影)

30年前の“失態”暴露

「30年後の検証にも堪える」。これは読売の社説についての謳(うた)い文句である。世論におもねることなく練り上げていると言う。立派な信条である。ジャーナリズムはそうあってしかるべきだろう。が、現実はどうか。

30年前のメディアの“失態”が昨年末に暴露された。外務省が公表した極秘文書(1991~92年)によれば、92年の天皇皇后両陛下(現上皇御夫妻)の訪中に当たって外務省は“恫喝(どうかつ)”まがいのメディア工作を行っていた。朝日などの親中派は諸手(もろて)を挙げて訪中賛成だったが、保守派には「血の天安門事件」(89年)を容認しかねないとの懸念から反対論が根強かったからだ。

読売、NHKはいち早く懐柔され、共同通信に至っては駐中国大使から「支局閉鎖になっても大使館として助けることはできない」と脅され屈した。異を唱えたのは大手紙では産経だけだった。これでも「30年後の検証にも堪える」と読売は胸を張れるか。もとより他紙もそうだが。

外交評論家の宮家邦彦氏は「天皇訪中…真理は常に少数派か」(産経12月28日付)と嘆じている。真理の対義語が誤謬(ごびゅう)とするなら、新聞が形成した多数派(世論)は誤謬だったわけだ。日本が先鞭(せんべん)をつけた中国容認が今日の「共産怪物」を招き入れたとすれば、新聞は歴史的誤謬を仕出かしたと言うほかない。

外交文書を他人(ひと)事のように書かず、自らの報道、論説はどうだったか、訪中問題だけでなく戦後の主だった争点を改めて検証すべきではないか。新聞の誤謬はこれだけではないはずだ。

「主張」検証した産経

産経は創刊90周年を迎えた昨年初めから「産経はこう『主張』してきた」と題するシリーズを1年にわたって連載し12月30日付26回で終えた。その中で取り上げた終戦の「英霊に詫びる」(45年8月17日付)や主権回復の「独立の日を迎えて 栄光ある自由と民主の国へ」(52年4月28日付)は産経の原点だろう。改めて読んでも合点がいく。

こうした社説検証は朝日には必須である。あまりにも誤謬が多いからだ。産経にあやかって主権回復について朝日論調を振り返ってみよう。朝日はサンフランシスコ講和条約に猛反対し、「全面講和」(47年8月19日付社説)と「永世中立」(49年4月12日付社説)を唱えた。いずれも共産陣営の主張をなぞるものだった。

講和交渉が山場に差し掛かると、50年3月から翌51年10月までの1年半に実に50本の社説を掲げ、50年5月20日からは3日間にわたる連載社説を掲載し、「非武装中立を保障する国際規約も、この領土内に一国の軍事基地があってはできない相談となろう。日本の中立的地位も、それによって揺らぐ」と、米軍に出ていけと言ってのけた。

これら朝日社説はまさに歴史的誤謬と言ってよい。スターリンと毛沢東、金日成は韓国への軍事侵略を準備していたからだ。朝日社説の1カ月後の6月25日、北朝鮮軍は戦車の車列を組んで軍事境界線を突破し、1カ月後には南端の釜山近郊に迫った。在日米軍が存在しなければ、朝鮮半島はたちまち共産化され「次は日本列島の赤化」(金日成)が現実となっただろう。

共産党と同じ遺伝子

もっとも朝日も社説を検証したことがある。創刊120年を迎えた99年1月26日付に「社論を振り返る」の特集を組み、その中で論説主幹の佐柄木俊郎氏(当時)は全面講和論を振り返り「(非武装・中立化の)こうした理想論に立つ主張は、真の平和を望む多くの人々の支持を受けた」と自賛している。

日本共産党の辞書には「反省」の文字がないとしばしば言われるが(党無謬(むびゅう)論)、朝日も同類の遺伝子を引き継いでいるようだ。年頭に当たって新聞のつくり出す「世論」にはそんな歴史的誤謬があることを想起し、メディアリテラシーを磨いて激動の年を乗り越えたいと念じる。(増 記代司)

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