統一への熱望を一顧だにせず

ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官が亡くなった。ベトナム戦争終結、米中関係改善など歴史的業績を残した。その基本姿勢は「勢力均衡を通した安定」だ。世界には解決されない問題が多く、衝突や紛争を収め、安定を求めようとすれば、どこかで均衡点を探るしかない。そんな現実主義外交をキッシンジャーは展開した。
月刊朝鮮(12月号)で裴振栄(ペジニョン)同誌記者が「キッシンジャーと韓国」を書いている。キッシンジャーを韓国から見ると、「大国中心主義の現実主義者」と映る。だから裴記者はキッシンジャーが国家安全保障補佐官だった時に打ち出したニクソン・ドクトリン(1969年)について、「強大国間の勢力均衡だけで安定が維持できるなら、アジアでの小さな紛争には米国は直接介入しないから、アジア自らが勝手に生き残れ」というものと理解した。実際にそうだった。
そのためキッシンジャーから“コケにされた”という思いは韓国には強い。しかし、朴正煕大統領(当時)はこれに対して、南ベトナム最後の大統領ゴ・ジン・ジェムのように泣いてすがったりはせず、「重化学工業化を通した自主防衛路線を選択し」今日の韓国の基礎をつくった。
彼が韓国に一方的に冷たかったかというとそうでもない。次の局面でも現実主義が現れている。カーター米大統領が「人権外交」を掲げて朴政権を批判し、在韓米軍撤退を言い出した時にはキッシンジャーはこれに反対した。
裴記者は対中国観でキッシンジャーの“誤り”を鄭周永元現代会長が指摘したエピソードを紹介している。1985年、韓国を訪問したキッシンジャーは鄭周永全経連会長(当時)に対して、次のように中国観を披歴した。
「中国が共産主義体制を維持しながら経済だけ市場経済体制に行くならば、これまで共産主義体制に馴染(なじ)んだ意識構造と慣行という惰性、所得格差拡大による階層間の不満と葛藤による社会不安が引き起こされて座礁することもあり得る」と説いた。当時ならば、当然こういう見方をしただろう。
これに対して鄭会長は「私の見解は違う」として、「わずか半世紀程度、共産主義体制の中で暮らしたからといって、彼ら(中国人)の血の中に深く根を下ろしている最高の商売人気質が変わるとは考えない。多少の混乱と支障を来すことはあるだろうが、今後何十年内に中国は米国に次ぐ世界最高の経済大国として浮上するだろう」と返した。
何千年という付き合いの中で中国人の本質を嫌というほど知らされてきた韓国人ならではの“現実主義”観点だ。裴記者は「歴史は鄭会長が正しかったことを見せている」と若干誇らしげに書いている。
キッシンジャーは「外交論」で韓国動乱当時、マッカーサー連合軍司令官が国連軍を鴨緑江まで北進させたことは誤りだったと批判した。平壌・元山線で進撃を止めていなければならなかったというのだ。その理由は、そうすれば「中国に参戦の口実を与えなかったであろうし、米中衝突もない可能性があった」というものだ。
裴記者は「韓国人の統一への熱望を一顧だにせず、強大国間の勢力均衡を通した安定を強調するキッシンジャー式思考を見る」と反発する。確かにこの場面には大国しか存在しないかのような発想だ。これが結局、分断の固定化につながった。
最後に裴記者はキッシンジャーが1970年代、日本外相(大平正芳)と会った時に話した言葉を引用した。キッシンジャーは「強大国は互いに戦っている時にも水面下では対話をしている。こういう事実を韓国のような国々は分からない」と大平に話した。あたかも韓国のような“小国”は大局を見ないから困ると言っているようだ。裴記者は「国際政治の冷酷さを見せる背筋が寒くなる話だ」と述べている。
キッシンジャーの“説教”は日本も「小国」だと言っているようなもので、大国の傲慢(ごうまん)な側面を見せている。今日も同じように米中は裏では通じていると見るべきで、韓国も日本も国際政治の脇役からは抜け出せていない。キッシンジャー外交はそのことを痛烈に自覚させる。
(岩崎 哲)






