
墜落し乗組員が死亡
軍人はいかなる国においても尊敬される。とりわけ米国がそうである。カリフォルニア州弁護士でタレントのケント・ギルバート氏はこう述べている。
「アメリカ人にとって軍隊は、家族や友人の集合体です。戦争になれば、家族や友人が戦地へ赴き、苦しい体験をし、時には命を落とします……軍人は祖国や国民を守るためなら、自分の命を危険にさらす覚悟を持っています。だからアメリカ人は、誰もが軍人を尊敬し感謝しています」(ワニブックス「ニュースクラッチ」ネットより)。
そんな米軍人が搭乗する在日米空軍の輸送機CV22「オスプレイ」が鹿児島県の屋久島沖で墜落し、乗組員1人が死亡、7人が行方不明となっている。わが国の安全保障に関わる任務での殉職である。日本国民ならば深甚なる敬意と哀悼の意を捧げるのが人の道であろう。
だが、各紙社説で哀悼の意を示したのは「殉職した乗員に哀悼の意を表したい」(産経1日付主張)と「亡くなられた米軍兵士に弔意を表する」(本紙2日付社説)とした2紙だけだった。寂しい限りである。新聞は「人命、人権」を唱えるけれども、こと軍事となると豹変(ひょうへん)する。軍事=悪論とりわけ米軍=悪論は戦後メディアの宿痾(しゅくあ)のようだ。
偏向報道根拠に運動
オスプレイ欠陥論もその一つである。朝日1日付社説は「オスプレイは沖縄県民の強い反対を押し切って、2012年から米軍普天間飛行場に配備が始まった」と、まるで県民みんなが反対したかのように言う。確かに地元紙の沖縄タイムスと琉球新報が偏向報道で煽(あお)り、それに左翼勢力が呼応した、そんな「強い反対」はあったが。
当時、オスプレイは米本土に150機以上も配備済みで、事故率も海兵隊平均を下回っているにもかかわらず(現在もそうだ)、地元紙は「欠陥機」のレッテルを貼って危険だと煽り、沖縄にだけ配備する「差別」と決めつけた(琉球新報12年6月7日付「空飛ぶ脅威」など)。これが今に続くオスプレイ欠陥論の起源と言ってよい。
そうした偏向報道を根拠に左翼勢力は12年9月にオスプレイ配備反対県民大会を開いた。地元2紙は特別紙面編成を組み、天地がひっくり返ったかのような大見出しで「オスプレイ拒否 10万3千人結集」(琉球新報)、「10万人『差別』に抗議」(沖縄タイムス=いずれも同年9月10日付)と、そろって「10万人」を強調し、「最大規模」の県民大会と報じた。だが、それは水増しで「大会参加者は警察発表2万5000人」(藤村修官房長官=当時)だった。朝日はそうした偏向・水増しの反オスプレイ運動に未だにしがみついているのである。
中国を利したいのか
各紙はそろって原因究明を求め、オスプレイの飛行停止を求めている。東京に至っては「国内配備自体を見直せ」(1日付社説)と話を飛躍させている。産経の「原因究明し抑止力を保て」とは対極に立つ。配備を見直して誰が喜ぶのか、それには東京は意を介しないようだ。
もとより軍用機は激しい実戦訓練などで事故が起こる可能性があり、事故原因の究明が不可欠なのは論をまたない。米軍規則によれば、新兵器・装備に「構造上の危険」があれば、原因が取り除かれるまで運用を中止する。「軍隊は家族や友人の集合体」で人命を尊ぶ。ましてや何年も訓練した海兵隊や空軍(今回の墜落は空軍仕立てのCV22)の精鋭をやすやすと事故で亡くす損失は計り知れない。だから、規則は徹底している(米軍はCV22を飛行停止とした。ちなみに海兵隊と陸上自衛隊の使用機はMV22)。
そうした米軍への信頼性を陥れる安易なオスプレイ欠陥論を左派紙は振りまいている。日米同盟を軽んじているのか、それとも共産中国を利したいのか。とまれ米軍=悪論に立つオスプレイ欠陥論は御免こうむりたい。
(増 記代司)