「パックス・ロマーナ」に学ばず北の脅威に空想論を語るリベラル紙

北朝鮮の金正恩総書記 (朝鮮通信、AFP時事)
北朝鮮の金正恩総書記 (朝鮮通信、AFP時事)

軍事は軽んじられず

先に文化勲章を受章した作家の塩野七生氏が読売紙上で世界と日本について縦横に語っている(22日付解説面)。イタリアに暮らす塩野氏は「海の都の物語」や「ローマ人の物語」などでローマやギリシャなどヨーロッパの歴史をつづってきた。その視点から今、世界平和に何が必要か、その指摘は示唆に富む。

古代ローマ帝国は軍事力によって征服した国や地域に根付く信仰や慣習を認め、本国と属州の間に独特な共生関係を結んだ。ローマの軍隊にも迎え入れ、有力者は元老院議員に推挙し、数世紀にわたる「パックス・ロマーナ」(ローマによる平和)の安定社会を築いた。「恒久的に平和を求めたければ、まず軍事で解決しなければならない。どちらかが勝つんですが、勝った方が今度は譲るんです」

塩野氏によれば、平和の要点は軍事と寛容である。古代帝国と言うと軍事独裁を思い浮かべがちだが、そうではない。「ローマ人の物語」全巻を読んだが、平和にはしかるべき軍事力、そして「信仰の自由(伝統の尊重)」が不可欠という2点が筆者も印象に残っている(後者については別の機会に論じたい)。

翻って現在の世界を見れば(古代から変わらず)軍事を軽んじることができない。信仰や思想の自由、伝統の尊重は平和の基盤である。塩野氏の指摘する教訓はまさに今に通じる。

説得力のない遠吠え

ところが、この教訓を朝日などのリベラル紙は学ぼうとしない。とりわけ軍事的な抑止力について忌避する。北朝鮮が人工衛星を軌道に乗せ、軍事脅威が一段と高まっているが、朝日23日付社説は「地域の安定を脅かす行為を強く非難する」と言う一方で「『力対力』の対応だけでは限界がある」とし、北朝鮮との対話を説いている。

これは空想論である。対話すれば軍事増強を止めるという保証もない。朝日の勝手な思い込みにすぎない。社説タイトルに「軍備増強は座視できぬ」とあるが、これではわが国の防衛力整備にも釘(くぎ)を刺しているように読める。

毎日23日付社説は「高まる脅威への対応急務」とするが、その対応は「開発資金を調達できないようにする」である。その一点きりで他の対応策はない。お粗末な限りだ。防衛力整備から国民の目を逸(そ)らさせたいのか、と勘繰りたくなる。

東京社説は「決議違反は放置できぬ」ときた(23日付)。「衛星運搬ロケットの技術は弾道ミサイルとほぼ同じで弾道ミサイル発射は今回を含め今年17回目。いずれも『弾道ミサイル技術を使ったあらゆる発射』を禁じた国連安全保障理事会の決議違反だ」としている。今年だけでも17回も違反を許しておいて「放置できぬ」とは犬の遠吠(ぼ)えで何ら説得力はない。放置できないならどうするのか。

東京は「孤立を深める核開発の強化は経済立て直しを遠ざけるばかりだと正恩氏は気付かねばなるまい。住民を苦しめる国防計画は速やかに放棄すべきだ」と、あろうことか金正恩氏の「善意」にすがろうとしている。残虐な粛清を重ねる独裁者が経済立て直しや住民の苦しみを顧みるとでも思っているのか。それなら底抜けのお人好しか、北への憧憬(しょうけい)を抱き続けるオールドコミュニストのいずれかで、論評に値しない。

保守紙は対極に立つ

これに対して保守紙は対極に立つ。産経は「自衛隊への長射程ミサイル配備を急ぐことが必要だ」「肝心の地下シェルターが日本にほとんどないことに暗然とする。なぜ建設を急がないのか」と訴え(23日付主張)、本紙も「日本は敵のミサイル発射拠点をたたく反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有に向けても米国との協力を進める必要」を説き、「核シェルターの整備も急務だ」とする(24日付社説)。ただ読売は毎日と同様に開発資金だけを論じ、物足りない。

平和をつくり出す新聞はいずれか。「パックス・ロマーナ」の教訓から自ずと知れよう。(増 記代司)

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