一時代を画した人物
「この国に共産革命が起こらないのは創価学会と巨人軍があるからだ」という冗談がある。放っておけば共産党が庶民の不満を糾合して権力を倒しにかかるところ、この不満を吸収、発散させているのが宗教とスポーツという、いささか乱暴な理屈だ。
戦後の急激な経済成長の陰で生じたゆがみや矛盾、社会の不公平を正し、平和で平等な社会をつくろう、という理想主義は共産主義にいくか宗教に向かわせることが多かった。それが豊かになり社会的不平等も解消されていくようになると、そういった勢いは力を落としていく。
公称827万世帯(2022年)の巨大教団創価学会は公明党という政党もつくり(1964年)、共産党に流れがちな層を吸収していった側面もあったのだろう。だが、かつては898万票(05年)を集めた創価学会・公明党も昨年の参院選では618万票と集票力を大幅に落としている。
そんな中で第3代会長であり今日の創価学会を築き上げた池田大作氏が95歳で亡くなった。一時代を築いた人物の他界は創価学会、公明党にとって大きな転換点になり得るだけでなく、与党を構成してきた自民党と公明党との関係にも変化をもたらすだろう。
池田氏の死去を受けて、この週の各誌は大特集をしている。「カリスマか俗物か 国政を牛耳ろうとしたドン『池田大作』野望の果て」と題して10㌻のトップ記事を載せたのは週刊新潮(11月30日号)だ。池田氏の入信から会長に上っていく過程、公明党の創設などの業績の一方で、「言論出版妨害」「共産党盗聴事件」などの“黒歴史”も紹介する。
18日に死去が発表されてから締め切りまでの数日間で、取りあえずまとめられる記事としては十分なのだろうが、何か物足りない。
権力への渇望衰えず
ただ、記事の冒頭で「家族葬で済ませ、早々に荼毘に付した」ことを紹介しているのが面白かった。何が面白いかと言えば、創価学会では「ご遺体の状態が重視される」といい、信仰を積んだ人は「半眼半口、かつ色も白く、死後硬直のない状態が理想」とされているというのだ。ところが池田氏の遺体の状態は「学会員にも秘匿された」という。こういう“人の悪さ”がいかにも新潮らしい。
週刊文春(11月30日号)も冒頭から13㌻の特集を組んで「“怪物”の正体」に迫っている。同誌は書く。
「公明党設立の翌年、池田をインタビューした評論家の高瀬広居の著書『人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方』(有紀書房)によれば、当時三十七歳の池田は本部応接室でアーム・チェアにあぐらをかき、複数の幹部を前に、こう発言したとされる。〈私は、日本の国王であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である〉」
後に創価学会は「政教分離」を宣言するのだが、「政治権力への渇望は衰えなかった」と伝えている。
教団の政治活動不問
「緊急対談 池上彰×佐藤優」で佐藤氏は「政教分離は国家が特定の宗教を忌避したり優遇したりするのを禁止しているという話で、宗教団体が自らの判断で政治活動をするのは憲法上全く問題がありません」と政教分離の原則を紹介。これを受けて池上氏が「統一教会と自民党の関係が問題になりました」と話を振ると、佐藤氏は「根源的に人生の全ての領域を宗教観で律するという意味では統一教会もキリスト教カルヴァン派も創価学会も同じなんです。ただ政治に関与する際の具体的行為として、違法だったり社会通念から著しく逸脱しているか否かが問題」と述べている。
600万票持つ教団の影響下にある政党が自民党と連立を組む。別に問題ではない。たかだか5~8万票程度の旧統一教会が「自民党とズブズブ」と言ってきたメディアには、同じように多額献金問題を抱える教団の政治活動は目に入らないようだ。
(岩崎 哲)