文明の「病」を人類史的に解説

公園で遊ぶ子供たちのイメージ(Photo by Robert Collins on Unsplash)
公園で遊ぶ子供たちのイメージ(Photo by Robert Collins on Unsplash)

長谷川眞理子氏へのオマージュ

月刊「Voice」の中で、必ず読み続けてきたコラムがある。日本芸術文化振興会理事長の長谷川眞理子が筆を執る「巻頭言」だ。進化生物学者として、2021年1月号から毎回、社会の課題を人類史的な観点で分析を試みており、興味深く読んでいた。

12月号はその最終回で、テーマは「現代文明の『病』」。その例の一つとして、最近、アトピー性皮膚炎などさまざまな物質に対するアレルギーが増えていることを挙げる。「この数十年という、進化史的に見れば一瞬のような短い間に、暮らす環境を超清潔にしてしまったのだから、何らかの負の側面が現れるのは当然」。つまり、文明が進み、乳幼児を取り巻く環境があまりに衛生的になったことで、「免疫その他が狂ってしまう。そこでアレルギーが起こる」というのだ。

昭和30年代、東北の農家に生まれ育った筆者も長谷川の指摘を実感する。四角に積み上げられた推肥の上に上って遊んだあと、ろくに手も洗わずに食事をしていた。それで免疫機能が鍛えられたのか、病気で医者に診てもらったのは小学生の時、給食の後に腹痛を起こした一度きり。私自身、比較的丈夫な体に生まれたということもあったろうが、病気で学校を休む同級生は少なかったし、アトピー性皮膚炎で苦しむ子供もいなかった。

また、長谷川は11月号「学校という不自然」で、不登校に触れている。人間の成長にとって「異年齢集団」の中で育つことは大変大事なのだが、現在は、学校の外で異年齢集団をつくることはほとんど不可能な状態だ。〝競争的状況〟に置かれた学校のクラスから「抜け出す手だてがない」子供にとってはこの状況は苦しく「不登校や不適応が出てきても、私は当然だと思う」。つまり、今の学校のあり方のほうが不自然だと結論付ける。

連載35回の中で特に印象に残るのは、今年6月号「なぜ富裕国で少子化が起こるのか」。動物は通常、食料が豊富で生活条件が整うと、子供の数が増えるが、人間はそうならない。生活水準が上がると、欲しいものが増えるとともに、教養を身に付けるための出費も増す。さらには教育費など子供を育てるための出費も増える。そのコストを将来に渡って予測すると莫大(ばくだい)となり「とても負えない」「負いたくない」と思うようになって、結局、子供の数が減ることになる。

「Voice」12月号は、特集「『家族』に何が起きているのか」を組んでいるが、その中に社会学者(京都大学名誉教授)の落合恵美子の論考「『負の資産』となった子ども」がある。つまり、子供は今や、親に幸せをもたらすものではなく、「維持費のかさむ『負の遺産』」だという。長谷川の指摘と重なるが、その解決策として落合は社会制度や慣習を改めて、「子どもや家族を『負の遺産』と思わなくて済むような社会をつくっていきたい」と述べている。

一方、長谷川は「では、子どもをもつと本当にそれほどコストがかかるかといえば、現実には、産んでしまえば何とかなるものだ。しかし、頭で考える限り、不安感が大きな影を落とすので、コストは実際よりも過大に見積もられる」と分析する。長谷川と落合の指摘はいずれも間違いではなく、生物学者と社会学者の視点の違いなのだろう。

ただ、子育てについて、マスコミが男性優位社会など社会構造の問題点ばかりを指摘する社会学者の主張を取り上げる傾向が強く負のイメージが広がる中、生物学者の見方は貴重だ。論壇における長谷川の今後の活躍を期待したい。(敬称略)

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