「権力を監視」と豪語
日頃、「国家権力を監視し、横暴を防ぐ」と豪語するメディアがあろうことか、その国家権力を動かして宗教を弾圧する。民主国家でそんな蛮行がまかり通ろうとしている。世界平和統一家庭連合(以下、教団)の解散請求問題についてだ。「解散命令は宗教法人に対する死刑宣告」(宗教法人審議会委員=毎日11日付)とすれば、安倍晋三元首相の銃撃事件に続く「第二の殺人」を目指している。これは戦後日本における特筆すべき「メディアの陰謀」と筆者は考える。
いったい何が問題なのか。第一は、教団問題は刑事訴訟つまり警察や検察が犯罪行為を取り締まる刑事事件から起こったのではない。安倍元首相の銃撃犯の“動機”が教団への恨みとする「世論」によって引き起こされたものだ。メディアが騒ぎ立てれば「社会問題」となり、「犯罪行為」があるかのように取り沙汰され信教の自由が易々(やすやす)と壊される。そんな印象を拭えない。
「世論」の震源地は教団と民事訴訟を争う全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)だ。主に左翼弁護士から成るが、彼らは企業であれ、官庁であれ、何かにつけて裁判闘争を仕掛ける。事件直後の昨年7月12日、全国弁連は記者会見で教団を「反社会的団体」と断じ、解散を求めた。紀藤正樹弁護士は同26日に開かれた日本共産党国会議員団の会合で1兆円超えの被害が出ているとし、「霊感商法の被害は憲政史上最大の消費者被害」と吹聴した(実際にはそんな被害は存在しない)。
中国と通じる世論戦
メディアはこれに飛び付き、銃撃犯は「被害者」とされ、教団憎しの「世論」が形成された。志位和夫共産党委員長は同8月2日、第6回中央委員会総会の幹部会報告で、教団を反社・カルト集団とし「自民党など政界との癒着」を徹底究明すると表明した。これは中国共産党の論理だ。
中国は教団を「邪教(カルト)」として非合法化しており、「(安倍事件は)中国のカルト一掃の正しさを示した」と自賛した(環境時報=毎日・同7月30日付ネット版)。日本のメディアはこれと相通じ、「自民は実態調べ決別を」(朝日8月3日付社説)と「カルト一掃」の世論戦を始めた。
第二は、「世論」が背景にあれば、「何人に対しても」保障されている信教、言論、結社、政治活動の自由は易々と剥奪される。岸田文雄首相はメディアの砲火に浮足立ち、「世論対策」(保身)を動機に教団決別宣言を行った(昨年8月31日)。左派紙はその言質を取って「魔女狩り」を繰り広げた。
第三は、「世論」をもって国家権力が動くと、法令も朝令暮改でその解釈がいとも簡単に変えられる。過去に法令違反を問われたのはオウム真理教と明覚寺の2件のみで、いずれも犯罪行為による刑法の確定判決に基づく。岸田首相は当初、「民法は含まれない」としたが、昨年10月19日の国会答弁で「民法の不法行為も入り得る」と一夜にして豹変、メディアもよしとした。
審議会前に方針決定
第四は、「世論」があれば、政府が「初めに解散ありき」で政治的に動いても認められる。文部科学相の諮問機関である宗教法人審議会の委員の一人は毎日の取材に応じ、今年9月に審議会に意見が求められる前にすでに政府の方針が決まっていたと証言している。臨時国会や衆参補選の政治日程が絡んでおり、「(首相)官邸がコントロールしている」という(11日付)。
産経によれば、審議会の内部では請求ありきの進め方に異論もあったが、文化庁側は委員の自宅を訪問し「内閣が吹き飛んでしまう」と訴えて合意形成を図った(13日付)。まるで政治活動だ。結局、解散請求は認められた。それで朝日紙上で京都在住の牧師が「ヤバないか?」と懸念を表している(14日付「多事奏論」田玉恵美編集委員)。
実際、ヤバいのである。左翼メディアは教団の解散を「蟻(あり)の穴」として自由を崩そうとしている。その陰謀を見過ごしてはなるまい。
(増 記代司)