いまだに続く建国論争 「1919年」にこだわる左派

「大韓民国の元年」は?

大韓民国は1948年8月15日、米国による軍政が終了して樹立が宣言された。この日が現在の韓国の建国記念日であることは国際的にも認知されているものだ。

ところが文在寅大統領が在任当時の2017年8月15日、「光復節」で韓国の建国が「1919年」だと主張して混乱が顕在化した。それまで建国時期を巡って保守と左派の間で論争がくすぶっていたのだが、左派の大統領がそれを政治的に表に引っ張り出したのだった。

一般的には1948年、李承晩大統領による政府樹立宣言をもって大韓民国の建国としている。一方、左派は「1919年」の臨時政府による独立宣言をもって建国の起点だと主張する。建国年の認識にどうしてこれほどの開きがあるのか。1987年に採択された現在の韓国憲法(第六共和国憲法)前文の冒頭には次の記述がある。

「悠久な歴史と伝統に輝くわれわれ大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し…」

「法統」とは仏教の言葉だが、ここでは「法的正統性」を意味している。その「法統と理念を継承する」という。分かりにくい言葉ではあるものの、象徴的な表現であることは分かる。

当時、臨時政府の独立宣言を認める国家は一つもなかった。国家の要件は国土、国民、主権であるが、上海という外地に集まった数人をもってして国民というには少な過ぎ、まして国土もない。さらに主権を承認する国さえない状態だった。これでは独立宣言も単なる“独りよがり”にすぎない。さすがにこれでは韓国建国とは言えない。その「精神を継承し」とするのが精いっぱいだったわけだ。

韓国には「光復会」という組織がある。「日本からの朝鮮独立運動に関わった独立運動家、その子孫や遺族からなる団体」だ。しばしば議論となるこの組織は、韓国動乱で戦った“英雄”も日本統治時代に士官学校を出たという理由で「親日派」のレッテルを貼ったりする。

その現在の会長が李鍾贊(イジョンチャン)氏であり、大統領選に出馬したこともある与党(当時)の大幹部だ。その李会長が最近、尹錫悦政府の国防長官と文化体育観光部長官に「憲法前文を読んでみよ」と説教した。

これを取り上げ意見をしているのが月刊朝鮮(10月号)の金石圭編集委員である。李会長は“勉強の足りない”閣僚に対して、韓国の建国は「1919年」であると教え諭したのだが、どう見ても無理がある。金編集委員は複数の権威ある憲法学者の解釈を引用して、あくまでもこれは「正統性の継承を意味するもの」で、建国が1919年ではないと反論した。

なぜこのようなことが起こるのか。前述したように国内に歴史認識の対立があるからだ。左派が1919年にこだわる理由は、実は根っこが深い。

臨時政府は路線の違いから複数の派閥に別れ、内部で路線闘争を続けていた。代表的なのが金九と李承晩である。金九派は植民地解放後、日本統治時代に役人として働いていた者らを「親日派」と断罪しようとしたが、李承晩はテクノクラートとしてそのまま国造りに登用した。金九の流れをくむ北朝鮮は「親日派を清算した国」として正統性を主張し、そうでなかった李承晩の韓国を否定する。

「従北、親北」と言われた文政権が南半分だけの総選挙で国を出発した韓国の“出自”を問題にするのはここにある。だから正統を名乗るためには親日清算は避けて通れず、「北朝鮮はそれをした」とのコンプレックスが根底にあるのだ。臨時政府(の精神)を継承する、つまり建国を1919年と意識するのであれば、日本否定は必定なのだ。

そうした正統性論議とは別に現実は明らかに韓国建国は1948年である。そうした歴史論争がいまだに続く国であり、それが対日観に投影されていることを知っておくべきだろう。

岩崎 哲

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