朝鮮人虐殺招いたデマ紙面写真を掲載するも「責任」には沈黙した毎日

文化面で体よく逃げ

関東大震災でのデマ報道について毎日がやっと白状した。本欄で「関東大震災で新聞に踊った虚報を棚上げにして朝鮮人虐殺を論じる毎日」(9月5日付)、「朝鮮人虐殺を招いた戦前のデマ記事を調査せず政府をなじる毎日」(10月3日付)と問うたが、その回答と思える記事が毎日5日付夕刊の文化面に載った。

それは「関東大震災時の虐殺 新聞は」と題する記事で、見出しには「『流言』報じた責任」とあり、「事実無根の『朝鮮暴動』デマをそのまま報じた1923年9月3日付の東京日日新聞の紙面」の写真を掲載している(東京日日は毎日の前身)。ようやくの“蔵出し”である。

とはいえ、記事は識者の話をつなぎ合わせ「震災前から蔑視の記事/平時から差別許すな」と論点を巧妙にすり替え、毎日の「責任」については沈黙している。文化面で体よく逃げた感がする。

朝日はどうか。鹿児島県の地方紙である南日本新聞は今年8月31日のネット配信で、同紙の前進である鹿児島朝日新聞の震災直後の紙面を写真付で紹介している。それには、「不逞鮮人の跋扈横暴を極め無秩序の状態」(9月3日付)、「混乱に乗じて避難民を襲撃」「爆弾を持って横行」「大建築に放火せんとす」(同4日付)とあり、朝日もデマを垂れ流していたことが知れる。

ラジオをライバル視

関東大震災はメディアや広告産業に大きな影響を与えた。東京にしか拠点のなかった新聞は淘汰(とうた)され、大阪出自の朝日と毎日が部数を伸ばした。震災の影響で、各地域で不足する商品の広告を扱うようになった結果、全国的な広告出稿の前提が出来上がった。また「人びとに、『ラジオさえあれば流言飛語による人心の動揺を防げたであろう』という思いを起こさせ、放送事業開始の要望が急速に高まっていく」(竹山昭子『ラジオの時代』)ことになった(関谷直也東大准教授=東大総合防災情報研究センター・研究レポート、今年3月1日)。

ラジオ放送は2年後の25年から始まった。明治期からの「政論新聞」に取って代わった朝毎の「報道新聞」はラジオをライバル視し、迅速報道と大衆受けを競い合った。それ以降の戦前のメディアについて「メディア史研究者、京大院教授」の佐藤卓己氏が産経夕刊(大阪版)で「戦争に導いた『メディア議員』」(2日付)、「世間の空気読み取り言葉に」(3日付)、「加速する政治のメディア化」(4日付)の3回連続のインタビュー記事でその実相を語っている。

佐藤氏は戦前に政治のメディア化を体現した人物の評伝シリーズ「近代メディア議員列伝」(全15巻)に取り組んでおり、今年6月にその第1巻「池崎忠孝の明暗 教養主義者の大衆政治」(創元社)を上梓した。昭和戦前期の衆議院にはメディア経験のある議員が3割を占め、池崎はその一人。彼らは受ける記事や売れる言説に走り、そこから公の意見である輿論ではなく、大衆心理に乗じた世論を重視する「政治のメディア化」を推し進めたという。

「メディア議員」が3割もいたとは驚きである。一方、朝毎は拡販(拡大販売)へ「メディアの政治化」に走り、軍部の尻を叩(たた)き戦争への道を歩ませた。例えば朝日は国際連盟からの脱退を煽(あお)り「松岡代表鉄火の熱弁 勧告書を徹底的に爆撃 連盟に最後反省を促す」(33年2月25日付)、南京占拠に熱狂し「この万歳・故国に響け威風堂々!大閲兵式 世紀の絵巻・南京入場」(37年12月18日付夕刊)といった具合に報じた。

「政論新聞」の新形態

現在の日本では多くの議員が交流サイト(SNS)で発信する「政治のメディア化」が進み、新聞はコアな読者を囲い込もうと主義や思想を商品化する「メディアの政治化」を色濃くしている。これを佐藤氏は明治期の「政論新聞」の新バージョンだと指摘する。安倍晋三元首相銃撃事件後の世界平和統一家庭連合を巡る一連の報道もこうした視点で見ておく必要があるだろう。

(増 記代司)

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