手術なし性別変更の可能性高まる
「正論」(9月号)
LGBT理解増進法案の国会提出に向けた動きが活発化しだした今年春以降、性的少数者に関する問題は保守派論壇の重要テーマに浮上、各月刊誌にLGBTをテーマした論考が載らない号はない。それだけ「性の多様性」という考え方と、これを社会の基本に据えようとする運動に対する保守派の危機感が強いということだろう。
月刊誌9月号の中で、「性は多様にあらず」と銘打った特集を組んだのは「正論」。「性は多様」という考え方を基本に据えて社会改革を進めれば、日本の国柄の根幹を成す伝統的な家族制度と、性を「男」と「女」の二つに分類する社会規範(性別二元制)が崩壊し、社会混乱と国家分断を招く-。特集企画のネーミングからは、そんな保守派の問題意識を読み取ることができる。
歴史のふるいにかけられながら守られてきた日本の伝統。それを堅持する一方で、改革は漸次進めるのが保守の基本的なスタンス。そんな保守論壇は、LGBT活動家がゲイ、レズビアン、そしてトランスジェンダー(性同一性障害者など)を中心とした性的少数者の存在をテコに、家族破壊や国家分断を図り「性革命」を成し遂げようとしている、と見ているのである。
今年6月、LGBT理解増進法が成立・施行した。翌7月には、戸籍上は男性でありながら「女性」として生活する経済産業省職員に対して、同省が職場の女性用トイレ使用を制限したことについて、最高裁が「不当」判断を下した。この二つの事案は、日本文化の根底にある性別二元制とそれに基づく家族制度を守ろうとする保守派の意識に警鐘を鳴らしたのである。
「正論」の特集では、3本の論考が載っている。「最高裁トイレ判決は社会分断の序曲」(麗澤大学教授・八木秀次)、「有害LGBT教育 家族関与で阻止を」(麗澤大学特別教授・髙橋史朗)、「最悪回避のLGBT法 次は条例の改正だ」(国士舘大学客員教授・百地章)だ。これらの論考の見出しを見ただけで、理解増進法と最高裁トイレ判決に対する保守派の危機感が伝わってくる。
性の多様性に寛容な社会の実現を目的とする理解増進法は「性的指向及びジェンダーアイデンティティを理由とする不当な差別はあってはならない」と謳う。この「ジェンダーアイデンティティ」の文言については、「性自認」にするか、それとも「性同一性」にするかでもめ、その妥協策として英語の原語にしたもの。条文はその定義を「自己の属する性別についての認識に関するその同一性の有無又は程度に係る意識をいう」としているが、この解説でも「その意味は依然理解困難である」(百地)。
解釈によっては、自己の性自認を認めなければ「差別」と主張できよう。具体的には、体は男性でも性自認が女性(トランス女性)による、トイレや銭湯などの女性スペース利用容認の可能性を残している。このため、同法は「全ての国民が安心して生活できるように留意」するとの留意条項を付ける修正が行われた。
それでも、百地はジェンダーアイデンティティという文言の曖昧さについて着目し「今後、性同一性障害者特例法を参考に、心理的、医学的見地からの所見など客観的条件を付加することも含めて、さらに改正する必要があると思われる」と述べている。
同法は、LGBT運動に対するアクセルとブレーキの両方を備えているように見える。日本の伝統文化を重視する保守派は、同性婚の法制化や男女の性別概念の崩壊を阻止するためブレーキを踏む。一方、伝統的な価値観からの個人の解放を目指す左派を中心としたLGBT運動推進派は当然、同性婚の法制化と性自認による性別変更を可能にするため、アクセルを目いっぱい踏むのだから、社会混乱と分断の恐れは高まるのである。
一方、同法第10条3項は次のように謳う。「学校の設置者及びその設置する学校は、当該学校の児童等に対し、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する理解を深めるため、家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ、教育又は啓発、教育環境に関する相談体制の整備その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする」
髙橋が論考で、学校における性教育に焦点を当てたのはこのためだ。特に同法の施行によって、「包括的性教育」を導入しようとする民間団体「〝人間と性〟教育研究協議会」(性教協、代表幹事・浅井春夫立教大名誉教授)らの動きが活発となることが懸念されるという。
髙橋によると、包括的性教育はLGBT当事者の人権擁護の名の下に世界各地で導入されている。そして、ドイツの社会学者ガブリエル・クビーの著書『グローバル性革命-自由という名における自由の破壊』を紹介。その上で「これを推し進める動きを新しいマルクス主義に基づくグローバル性革命」と呼び批判するクビーは「包括的性教育の本質的狙いを性規範の解体と断じ、社会構造の解体や社会的な混乱を引き起こすことを狙った革命にほかならないという」と解説する。
「正論」が特集を「性は多様にあらず」としたのは「性を多様なもの」とするLGBT運動が「性革命」と認識していることを示しており、日本の保守派はクビーと共通する危機感を抱いていることが分かる。
PHP研究所が発行する「Voice」は、東京工業大学准教授・西田亮介の論考「LGBT理解増進法の理解不足」を掲載した。その中で、西田は「(同法の)成立後も保守派には懸念や不信感が根強く残るようだ」としながら、そこには同法への〝理解不足〟があると強調する。なぜなら、同法には「従来の法解釈や司法判断の変更を直ちに変更する内容は記されていない」からだとし、同法が性革命に利用されると危機感を強めて、同法の改正が必要だとする保守派との違いを見せる。
法の文言だけから判断すれば、西田の指摘にも一理あるが、同法の施行などの状況の変化が、トランスジェンダーの性別変更を巡る従来の法解釈が変更される可能性を高めているのは事実だ。
最高裁は9月27日、トランスジェンダーの性別変更の要件に生殖腺除去手術(性別適合手術)を入れている性同一性障害者特例法の規定の合憲性について審理を開始し、その結論が今年中に出る予定だ。この規定については、最高裁第2小法廷が2019年、「合憲」判断を示した。その理由は、手術なしの性別変更を認めれば、子供が生まれた場合、親子関係に問題が生じ、社会が混乱するからだ。しかしながら、社会状況の変化によっては「個人の尊重」を定めた憲法13条に違反する疑いが生じることも指摘された。
LGBT理解増進法や、最高裁トイレ判決は重大な社会状況の変化と言えるのではないか。もし生殖腺除去手術要件に対して「違憲」判決が出たら、どうなるのか。これについては、八木の説明が分かりやすい。
「そうなれば、男性器があるまま法的には女性に、女性器のあるまま法的には男性に性別移行することが可能になる。そして男性器のある女性が生まれつきの男性と、女性器のある男性が生まれつきの女性と法律上の結婚ができることにもなる」。だから「一種の同性婚の許容」になるのだ。そればかりではない。
生殖腺除去手術をしないまま性別変更ができるとなると、体は男性の法的女性が女性との間に子供をつくった場合、子供の父親は戸籍上の女性となるのである。こんなことが現実のものになれば、子供に深刻な影響を及ぼし社会も混乱する。さらに、体は男性の法的女性が出現すれば、トイレや銭湯などの女性スペース利用はどうなるのか。LGBT理解増進法や最高裁トイレ判決は、社会混乱を引き起こす可能性を高めてしまったのは間違いない。保守派の懸念の核心はここにあるのだ。(敬称略)
森田清策