「デジタルは人間を幸せにしたのか?」との団塊世代の疑問まとめた現代

新技術に抵抗する人

ワープロが登場した時、「原稿用紙に文字を埋めていく。その筆圧が重要なんだよ」とワープロ使用に抵抗していた先輩記者がいた。だが印刷局が生原稿を受け付けなくなってからは、後輩記者に入力させるという、今で言えばパワハラを問われかねない荒業で対応していた。最終的にはパソコンで記事を書くようになったが、その先輩も既に退職して久しい。

新しい技術が登場すると、飛び付いて眺め回し、いつの間にか使いこなす人がいる一方で、最後まで抵抗してごねる人がいる。「人類に災いをもたらすものだ」と占い師か予言者のようなことを言って忌避するが、「ああいう連中は置いていこう」と、さっさと導入して対応し、それがスタンダードになる。

週刊現代(8月12、19日号)が「デジタルは人間を幸せにしたのか?」の記事を載せている。まさに同誌をはじめ週刊誌がメインターゲットにしている団塊世代が感じ、辿(たど)り、持ち続けてきた時代の変化と疑問をまとめたような記事だ。

「内田樹(思想家)」は書類作成から絵画や音楽まで自動で作ってくれるチャットGPTの登場で「勤勉は価値を失い、モラルハザードが起きてしまう」と否定的だ。学生の論文作成が生成AI(人工知能)で行われる事例はもはや当たり前だが、7月9日付本欄では学生はそれほど愚かではないことを紹介した。「回答を導き出すツール」(AERA7月10日号)にすぎないのだ。「勤勉」が失われるのではなく、「能率」が得られるのである。

スマホ、携帯を持たないという人もいる。それは個人の自由だが、だからといってスマホを“悪魔の機械”のごとく忌み嫌うのもどうか。「斎藤貴男(ジャーナリスト)」は「スマホやケータイが脳の機能を代替してしまっているから」持たないと主張する。さらにこれが「国民総背番号制」につながり、「いつの間にか“便利”を代償に、管理・監視される社会やシステムに皆が同意し始めてきている」と、“陰謀論”めいたことまで言う。

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