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独裁者をほくそ笑ませる「8月ジャーナリズム」を展開する朝日、毎日

話があべこべの朝日

ナイ氏は「ドイツと対立すべき時に融和政策をとったこと」が戦争を招き入れたと指摘している。対立というのは軍事的に対抗する抑止力を指す。ところが、8月ジャーナリズムはこの教訓を顧みることなく「二度と戦争をしない」の大合唱を奏でる。

そこから話があべこべになる。広島平和宣言は「核による威嚇を行う為政者がいるという現実を踏まえるならば、世界中の指導者は、核抑止論は破綻しているということを直視し」と言うが、核による威嚇を行う為政者がいるからこそ、それを使わせない核抑止力が必要ではないのか。

宣言を評価する朝日社説(6日付)は「冷戦中から幅を利かせる核抑止は、核保有国の指導者が理性的にふるまうことを前提にしてきた。だが、プーチン氏の言動をみれば、彼らの理性がもはや信頼に値しないことは自明だ」とし「ほころびが著しい核抑止に安住」するなと言う。

これも話はあべこべだ。ウクライナはソ連崩壊後の1994年、ブダペスト覚書で核保有を放棄したから逆に「核の恫喝(どうかつ)」にさらされている。安倍晋三元首相はウクライナが戦術核を一部残し活用できるようにしておけば、ロシアはウクライナ侵略を思い留(とど)まったのではないかと問題提起していた。仮に核の恐怖を抱かない指導者がいるなら、それこそ反撃能力(敵基地攻撃能力)を磨いて核発射を阻止する必要がある。そうでなければ広島や長崎の惨劇を繰り返すことになりはしないか。

8月に一色に染まる

ところが、毎日10日付「記者の目」で長崎支局の高橋広之記者は、長崎平和宣言が防衛力強化への懸念を示さなかったと噛(か)み付いている。宣言の起草委員会では反撃能力保有を懸念する意見が出されていたのに鈴木史朗市長が採用しなかったと批判するのだ。

こんな具合に8月ジャーナリズムは「今後、二度と国家のために戦うべきでない」の一色に染まる。これにはお隣の独裁者がほくそ笑んでいるに違いない。その意味で8月ジャーナリズムは戦争を招き入れる「悪の権化」である。

(増 記代司)

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