独裁者をほくそ笑ませる「8月ジャーナリズム」を展開する朝日、毎日

原爆の日78周年の式典でスピーチをする岸田首相(UPI)
原爆の日78周年の式典でスピーチをする岸田首相(UPI)

「軍事=悪」は反省か

新聞の戦争に関する報道は毎年、広島と長崎の原爆の日の少し前から増え始め、8月を過ぎると極端に減る。これをメディアへの批判や皮肉を込めて「8月ジャーナリズム」と呼ばれる。毎日7月26日付「論点」は識者にその功罪を語らせていた。

その中で作家の保坂正康氏は「終戦から時間がたっても『平和を守る。二度と戦争はしない』と確認する」ところに8月ジャーナリズムの意義があると強調している。この言葉通りにリベラルメディアは8月を絶好の「反戦」の機会と捉え、「軍事=悪」論を盛んに唱えてきた。それがあたかも死者への供養であり、戦争への「反省」のごとくに。これこそ8月ジャーナリズムへの大いなる疑問である。

第1次大戦後にこんな話があった。1933年に英国のオックスフォード大学で行われた討論(ディベート)で、大戦で2000万人以上もの犠牲者が出たことから半数以上の学生は「今後、二度と国家のために戦うべきでない」という命題に賛成した。この討論を聞いていたのは学生だけではなかった。ドイツのヒトラーも聞いていた。彼は「民主主義国は軟弱だ、反撃してくる恐れはない、押せるだけ押してやれ」と考えた。

学生と同様に「二度と戦争はしない」と誓ったのはチェンバレン英首相である。「(大戦で)味わった悲惨と不幸を思う時、戦争に勝者はなくすべて敗者である、と言わねばならない。こうした思いからヨーロッパでの大戦争の再現を何としても避けることが私の主要な義務だと感じる」

それでヒトラーの拡張政策を黙認し、38年に英仏独伊4カ国でミュンヘン協定を結んだ。ヒトラーにはこれが軍事侵攻のゴーサインとなり、第2次大戦の火蓋(ひぶた)を切って落とした(以上は米政治学者ジョセフ・ナイ氏の『国際紛争 理論と歴史』有斐閣による)。

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