注目判決はサブ扱い
それ以降も「立つ人、立たぬ人」(16年10月16日付)、「私にもスケベ心はありますが」(17年3月19日付)などと話題を提供し、「私たちは黙らない。声を上げることをあきらめない。この国にはびこる冷笑と嘲笑を打ち破る。いつか、必ず」(同5月14日付、以上「政治断簡」)と気勢を上げた。
編集委員に「出世」し、朝日公認「ベテラン記者」となった氏の新たな「一手」とは何だろう。7月29日付の「多事奏論」に「首相の寝言 聞かせてやろう、私たちの声」と題して、安倍首相(当時)の演説中にヤジを飛ばして北海道警に排除された男女2人の控訴審判決(今年6月)の傍聴記をつづっている。
その中で、裁判長が主文のみ読み上げて閉廷し、所要1分だったとして原告弁護団長の「社会に説明しようという気概がないってことです」との言葉を紹介し「立法、行政のみならず、司法お前もか」と記す。これには思わず、それを言うなら「朝日お前もか」と混ぜ返したくなった。
判決言い渡しは1分でも判決文は報道機関に配られている。産経には判決要旨があったが、朝日にはなく、社会に説明する気がなかった。おまけに女性の地裁判決維持(勝訴)をメインで報じ、注目されていた男性の地裁判決取り消し、つまり排除合法はサブ扱いにした(6月23日付)。
まるでテロ容認の声
高橋氏が聞かせたい「声」はどうやらこれらしい。「判決後の会見で、安倍氏銃撃事件について聞かれた原告2人はこう応じた。どうしたら自分の声が通るのか。ヤジを排除するような社会では暴力に訴えるしかないという人が出てきてしまうのではないか――」
いや、驚いた。ヤジを排除されたら暴力に訴える? まるでテロ容認ではないか。前記の朝日記事にはこの発言はなく、「男性は『物が言えない社会につながりかねない』と憤った」とお茶を濁していた。さすが高橋氏、聞く耳が違う。「暴力に訴えるしかない」に敏感に反応している。
そして言う、「民主主義の土壌は、人々が声をあげることで耕される。…もっと声を、もっと。聞かれずとも、こっちから聞かせてやるのだ」。で、聞かれなかったらどうするのか。トイレを詰まらせるか、それとも「決してきみの知らなかった仕方」か。まさか、それって……。朝日のベテラン記者の奏でる記事には凡人はついていけません。
(増 記代司)