同情的な報道に終始
戦前にも同様のテロがあった。大富豪の安田善次郎の暗殺事件で新聞は犯人に同情的に報道し、それに触発された18歳青年が数カ月後に原敬首相を刺殺した(大正10年)。原敬は今では「平民宰相」として評価されているが、生前は安倍氏と同様に「独裁者」と激しく批判され、青年は「毎日の新聞に原内閣の秕政(悪政)が盛んに攻撃されているので、大いに同感」(予審判事記録)しテロに及んだ。
これを筒井氏は「マスメディアの影響力が決定的に大きくなった大衆社会ならではのテロ」とし、安倍氏銃撃事件も「きわだったマスメディア有名人である安倍氏にターゲットを絞ったことは暗殺者の自己アピールという目的ならば、大衆社会化時代において適合的な戦略」と指摘する。
ところが、メディアは「暴力の支配が何をもたらすか国民は過去の戦争で経験しており、現在の社会には暴力への批判が多く存在するからこの事件は戦前のような政治的な暗殺の連鎖にはつながらない」といった趣旨のコメントを掲載するなどテロリストに同情的な報道に終始し、それが次なるテロ(岸田文雄首相襲撃事件)を呼び起こした。
それで筒井氏は最大のテロ防止策は「暴力による自己主張は認められないという風潮を社会が作り上げていくこと」とし、メディアはその責任を自覚せよと訴えている。