警備は過剰と言えず
本紙は社会面で「道警やじ排除、原告1人逆転敗訴 札幌高裁『危険切迫し妥当』」と報じ、毎日は第2社会面カタで主見出しに「男性逆転敗訴」、サブ見出しに「女性は勝訴維持」を立てた。こういう報じ方が公平だろう。
ところが、朝日ときたら社会面トップでこうである。「ヤジ排除、高裁も賠償命令 『道警が表現の自由侵害』認定」。これが、あれれ、である。脇の方に「1人は逆転敗訴『危険性切迫』」とあり、「憤る原告『襲撃事件意識か』」との見出しもある。文字通り逆転敗訴は脇にやられ、あくまでも道警の「自由侵害」に焦点を当てている。これでは男性の逆転敗訴を頭から「不当判決」とする報じ方である(左翼機関紙ならそれでもよしか)。
いったい判決は男性の行動をどう判断したのか。産経が載せた判決要旨にはこうある。「男性は多数の聴衆が密集した場所で『安倍辞めろ』と大声で繰り返し、聴衆の1人が男性の左上腕付近を相応の力で押すという明らかな有形力の行使に及んだ。男性は警察官から大声を出さないよう警告を受けたにもかかわらず、無視して大声での連呼をやめようとしなかったほか、演説車両に向かって突然走り出すなどした」
それで判決は「具体的な危険性を認定」し排除を合法とした。女性にはそうした行動が見られなかったとして地裁判決を維持したが、これには筆者は疑問を抱く。女性は判決後、男性とそろって記者会見し「男性のヤジと私のヤジに何の違いがあるのか、わからない」と話すように(朝日)、男性と同じ行動をする危険性があった。道警の警備は過剰とは言えないと思う。
党派的な表現の自由
今回の判決に朝日と東京が社説を掲げた。朝日は「道警の敗訴 表現の機会奪った責任」(25日付)と、あくまでも道警の敗訴を強調し、「政治を批判する言葉を発したら演説の場にいる機会すら警察に奪われたのが、今回の事件だ」と定義付けている。
この認識はおかしい。安倍首相(当時)の演説を聞きに来た人たちはその機会を男性の「危険性切迫」によって奪われようとしたのだ。そっちの方はお構いなしで男性を擁護するとは、朝日の表現の自由は党派的過ぎる。
東京社説「市民から言論を奪うな」(24日付)は「ヤジも言論だ。市民から政権批判の自由を奪ってはならない」と、これも男性の「危険性切迫」を無視する。なるほど東京は国会内で自社記者が政権批判のヤジを飛ばしても許すだけのことはある。政権批判なら何でもあり。共産主義の暴力革命と一脈通じている気がするが、どうだろうか。
(増 記代司)






