文春は実名報道せず
陸上自衛隊の射撃訓練場で自衛官を撃った18歳の「自衛官候補生」。少年法が改正されたとはいえ「特定少年」として扱われて、犯人は名前も写真も伏されている。その一方で、撃たれて死傷した3人の自衛官は名前も公開されていて、どこか不公平感が拭えない。
事件が起こった当初は指導自衛官との間でトラブルでもあったのかとドラマのような展開を思い浮かべた。しかし、事情が明らかになっていくにつれ、両者に強い因果関係も事件に至る伏線もなく、射撃訓練場で“たまたま”居合わせたことで難に遭ってしまったことが分かってきた。
撃たれた自衛官には気の毒としか言いようがない。もちろん読者は被害者の素性や姿を知ることで、具体的に思いを寄せることはできるが、それはそれとしても、犯人を「少年」とするだけで名前も顔も分からないのは、どうしてもつり合わない。
この手の事件ではいつもそうだが、週刊誌がその実名、写真を報じるかどうかで議論となる。今回週刊新潮(6月29日号)が実名報道をする一方で、週刊文春(6月29日号)は「A」とした。
新潮によると犯人は「渡邉直杜(なおと)」。胸上写真と小学校の卒業文集、幼稚園時代と小学校時代の写真を載せている。文春もまったく同じ写真を掲載しているが、こっちは目線を入れている。
さて、これで記事が読者に与える印象が違ってくるのだろうか。結論から言えば、変わらない。顔がはっきり分からないからといって、また実名がなく「A」だからといって、変わらないのだ。家族や関係者の周辺は既に大騒ぎになっており、実名報道であろうがなかろうが関係がない。