宥和主義が戦争を招いた歴史と中国の核心を掴み切れていない毎日

第2次大戦時の教訓

この毎日とは違って対照的な結論を導き出しているのが、産経の田村氏のコラムだ。田村氏はコラムの最終段落で「それで『雪解け』になるとは甘すぎる。相手が一歩でも下がれば、二歩前に出るのが中国共産党の伝統的戦術なのだから」と警鐘を鳴らす。

対中認識では中国の核心部分をつかみ切れていない毎日の坂東氏に比べ、産経の田村氏は的を外していない。何より宥和(ゆうわ)主義こそが、戦争を呼び込むリスクを高めてしまうという皮肉な歴史を田村氏は理解している。

かつて英チェンバレン首相の宥和政策がナチス・ドイツのヒトラーを増長させ、世界史を第2次世界大戦の悲劇のるつぼに投げ込むことになった歴史的教訓がある。この時、チェンバレン首相はナチス・ドイツのズデーテン地方の領土拡張要求に対して、当事国のチェコスロバキアを犠牲の燔祭として妥協することで自国の安全を図ろうとした。目の前の平和を獲(と)るために、ヒトラーの野心に焦点を当てようとせず、見て見ぬふりをしたのがチェンバレン首相だった。

10年前、中国国家主席に就任した習近平氏は一帯一路構想を打ち出し、ユーラシア大陸の東西を陸路と海路で結び、ユーラシア経済圏を確立しようとしている。いわば国家の舵(かじ)を西に切っている習氏が、最終的にその舵を東に切り、米国の覇権パワーをそぎ落とし、ポストUSAの座を虎視眈々(たんたん)と狙い、建国100周年を迎える2049年をゴールとした100年マラソンを走っている。

日米首脳に覚悟なし

その中国と対峙するには、「肉を切らせて骨を断つ」覚悟こそが問われてくる。その覚悟がバイデン大統領や岸田文雄首相にあるようには見えない。国家の危機は、その安寧(あんねい)を脅かす外敵にあるのではなく、立ち向かう覚悟と戦略の欠落にある。G7広島サミットはゼレンスキー大統領の参加で、中国問題がかすんだとされるが、敢(あ)えてそれを設計したとすれば獅子身中に虫がいる。

(池永達夫)

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