
国民的議論は不発に
沖縄核密約の裏で“振り付け”をした「密使」について週刊文春(5月4・11日号)が7㌻にわたる「特別読物」を掲載した。佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領との間で交わされたという密約は沖縄返還を実現するために有事の際に日本に核兵器を持ち込むことで合意したというものだ。
米側のヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官と秘密の交渉を緻密に進め「密約」を成し遂げた人物が国際政治学者・若泉敬氏(故人)である。四半世紀経(た)った1994年5月、同氏は沖縄返還には核持ち込み受け入れが必要だったことを明かした著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)を著した。歴史的な決断とその意義を後世に残そうとしてのことだった。だが、意外にも「社会の反応は冷たいものだった」と文春は書く。
当時、羽田孜首相は「密約の事実はない」と素っ気なく、国会で議論となることもなかった。若泉氏が期待した「国民的議論」は不発に終わったのだ。これでは沖縄がなぜ大きな負担をしていかなければならないかを考える切っ掛けも消されてしまう。
若泉氏を“師”と仰ぐ初代国家安全保障局長の谷内正太郎氏が外務次官当時、省内で密約の存在を確認させた。報告は「存在しない」だった。谷内氏は「存在しないと言わざるを得ない」としつつも、「一方で私は若泉さんをよく存じ上げている。決して嘘をつく人ではない。だから『他策』で書いていることは本当だと思う」と述べる。
民主党政権となって岡田克也外相が「有識者委員会」を設置し密約の調査を開始した。その間、「佐藤栄作の次男で衆院議員だった佐藤信二が、密約文書を保管していたことを明かした」ため、密約そのものを否定することはできなくなった。しかし、有識者懇が出した結論は「有事の核持ち込みについては『必ずしも密約と言えない』」という訳の分からないものだった。