規約の前に自由なし
このような除名劇は過去にもある。1970年代半ばには党員学者の田口富久治名古屋大学教授(当時)が党指導部の交替ルールなどの党改革プランを『先進国革命と多元的社会主義』(大月書店)で提言したが、宮本顕治委員長(当時)の逆鱗(げきりん)に触れ、不破哲三書記局長(当時)が「解党主義」と断ずる特大の批判論文を書いた。
不破論文には「『学問研究の自由』の名で党規律を否定することができない」などとある(党機関紙「赤旗」78年9月10~11日付)。学者党員のみならず松竹氏らジャーナリスト党員も同様で党規約の前には「学問の自由」も「言論の自由」も存在しないのだ。
これに対する身内からの批判を「路線闘争」と呼ぶ。今回は日頃、共産党に少なからず同調する左派紙の朝日と毎日が“参戦”した。朝日8日付社説「国民遠ざける異論封じ」、毎日10日付社説「時代にそぐわぬ異論封じ」がそれだ。いずれも共産党の態度を「異論封じ」と批判する。
朝日は「激しい路線論争が繰り広げられていた時代ならともかく」現時点で党首選を行わないのは「党の特異性を示す」と言い、毎日は「(党員一致して実行する規約「民主集中制」は)戦前に政府から弾圧され、戦後間もない頃には党内で激しい路線闘争が繰り広げられた歴史的背景」があったが、党首公選制をやらないのは「今や、共産だけだ」と松竹氏に同調する。
これは志位委員長の逆鱗に触れたようだ。志位氏は9日の記者会見で朝日社説を「結社の自由を全く無視し、乱暴な攻撃だ」と反撃し、「しんぶん赤旗」には松竹氏や朝毎への批判論評が連日、載った。確かに路線闘争の図だ。
といっても共産党の「反撃」以降、両紙はおじけづいたのか、批判は続かず、東京は社説をスルー。保守紙で論じたのは本紙のみで、読売と産経は高みの見物のようだ。