
「大義」を生んで担ぐ
元朝日記者、長谷川煕氏は「60年安保」の翌1961年に入社し30年余にわたって朝日社内で編集幹部や同僚記者の言動に接してきた。その氏が朝日の体質をこう言う。
「真実の追求から離れ、陰に陽に、無意識でか意識してかマルクス主義の思考にくるまり、…世の中、物事を見る視野が非常に狭くなってしまっていることである。こうした精神環境は安易に、一種の集団心理とも思える『大義』なるものを生みだし、それを担ぎ出す」(『崩壊 朝日新聞』WAC刊)
戦前は「米英撃滅」、戦後は「東京裁判・ソ連・中共・北朝鮮」賛美といった「大義」に朝日紙面は雷同し酩酊(めいてい)した。幹部は中共派(広岡知男元社長)とソ連派(秦正流元専務)で主導権争いを演じ、編集現場では共産党員になることを嘱望する記者がいた。長谷川氏はそんな「大義」の機関紙を「アジびら」と呼ぶ。
共産党と通じる本音
その「大義」の一つが安倍晋三元首相銃撃事件に端を発した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)叩(たた)きだ。年が明けて1カ月、朝日は何かにつけてこの「大義」を持ち出した。社説はこうである。
岸田文雄首相の年頭会見では教団との関係の全面解明がなされていないと批判し(「新たな挑戦を言う前に」5日付)、銃撃事件半年ではテロ批判は言い訳程度で「自民党と旧統一教会の半世紀に及ぶ蜜月関係が横たわる」に紙幅の大半を割いた(「暗部の検証 ここからだ」14日付)。
通常国会が開幕すると「解明は不十分なままだ」(「与野党で責任を果たせ」20日付)。首相の施政演説には「(教団問題は)結語の前に取り上げ…全容解明にも言及はなかった」(「反省なき『決断』の強調」24日付)。細田博之衆院議長の教団との関係説明では「徹底解明から逃げることは許されない」(「公の場での説明不可欠」(25日付)。まさに「大義」に酩酊している。
それゆえか、思わず本音が漏れた。それは自民党と教団との「半世紀に及ぶ蜜月関係」と半世紀まで遡(さかのぼ)って問題にしていることだ。メディアが騒ぐ「霊感商法」や「高額献金」なるものはそんな昔の話ではない。半世紀前と言えば、1970年代である。これを言い立てているのは、日本共産党のほかに存在しない。