日韓トンネル構想を献金問題に結び付け1面トップで報じる毎日

トンネルのイメージ(Photo by Claudia Soraya on Unsplash)
トンネルのイメージ(Photo by Claudia Soraya on Unsplash)

感銘と共感得た人々

科学者、西堀栄三郎氏は「ロマンの人」だった。京都大学の学生時代に親友の桑原武夫氏(仏文学者)や今西錦司氏(生態学者、いずれも文化勲章受章)と共に登山に明け暮れ、「雪山讃歌」の歌詞を作った。語学にも堪能でアインシュタインが来日し京都見学をした折には通訳も務めた。

戦後は第1次南極観測隊の初代越冬隊長をやり遂げた。NHKは2001年にドキュメンタリー番組『プロジェクトX―挑戦者たち―』で「極寒・南極越冬隊の奇跡」を放映し大きな反響を呼んだ。その西堀氏が「日韓トンネル」構想の有力な推進者だった。

同構想は1981年11月に韓国ソウルで開催された科学者会議で世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の創始者、文鮮明師が「国際ハイウェイ構想」の中で提唱したもので、会議に出席した西堀氏は感銘を受け、帰国直後の日本山岳会の会合で佐々保雄会長(北海道大学名誉教授)にこれを語った。西堀氏は山岳会の前会長で、佐々氏は青函トンネルの実現に尽くした人だ。

佐々氏は西堀氏から「見せたいものがある。青函トンネルもやった君のことだ。日本でもこれに応じて、一肌ぬいでみないか」と資料をもらった。それは世界を国際ハイウェイ網で結び、物心両面の自由化と一体化を図る規模壮大な構想で、強い共感を覚え、「日韓トンネル研究会」会長に就任した(佐々保雄著『日韓トンネル』郷土大学叢書4)。それから40年余、「涓滴(けんてき)岩を穿(うが)つ」の精神で調査斜坑の建設などが進められてきた。

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