旧統一教会問題 大衆社会の危うさ 魔女狩りはどこへ向かうのか

魔女のイメージ
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首相は正論封じ“群衆”に媚びる

ヒトラーは、議会制民主主義の中で、選挙で合法的に選ばれた首相だったことはよく知られている。民主主義は大衆社会を基盤としているが、1906年、ドイツで生まれた政治哲学者で、『全体主義の起源』の著者ハンナ・アーレントは大衆社会で全体主義が生み出されると警告した。それは一昔前の話とばかり言い切れない。

安倍晋三元首相銃撃事件(7月8日)以降、日本のメディア、世論、そして政治へと広がった世界平和統一家庭連合(旧統一教会)バッシングの熱狂。宗教法人として認められた公益法人を「悪」と決め付け、その関連団体や信者を社会から排除する動きに、自由主義と民主主義のもろさを感じる。

テレビの討論番組(9月)に出演し、異端を認めない自由・民主主義はないとした上で、「日本はいつの間に全体主義国家になったのか」と義憤を露(あら)わにした弁護士(元東京地検特捜部検事)の高井康行氏は最近も、次のような指摘を行っている。

信者が教団に寄附(きふ)する自由、教団が信者から寄附を募る自由は憲法が保障する信教の自由の一環。だからといって、社会秩序に抵触する方法で寄附を集めることは許されない。だから、「今回の救済法は、社会秩序に抵触する寄附勧誘行為を具体的に列挙してこれを禁止しようとするもので、結果的には妥当なものになったと思う」が、「しかし、ここに至る社会的雰囲気あるいは風潮には自由主義社会とは相容(あいい)れないものを感じざるを得ない」(産経新聞12月25日付)。

さらに、社会思想家エーリッヒ・フロムの著書『自由からの逃走』に触れ、「自由主義的社会と全体主義的社会は対極の位置で向かい合っているのではなく、背中合わせになっていることを教えてくれている。

信教の自由への社会的対応は、その社会における自由主義の堅固さ、あるいは脆(もろ)さの程度を表すリトマス紙と言っていい」として、「情緒的な議論ではなく冷静で視野の広い議論」を求めた。

宗教団体であろうと、不完全な人間の集まりである。だから、過剰献金やいわゆる「宗教2世」問題などの“病理”は存在する。教団バッシングは、その病理ばかりに関心が集まったことにより起きたのだろう。

もちろん、同じ教団に所属していようが、信者や宗教2世といっても多様性があるのだから、その病理で教団全体を見るのは間違いだ。ただ、宗教団体は内向き指向が強いが故に、その病理に気付きにくい面がある。教団はその危険性を自覚しながら、病理が出現しないように対応し続けるべきである。

一方で、高井氏のように、情緒的な議論を戒める識者は極めて少数派だ。一般庶民はもとより、信仰の自由と民主主義、宗教と政治との関わりについて深い洞察を持たない政治家、弁護士、ジャーナリストがほとんどで、情緒的議論ばかりが熱を帯びるのは日本の病理でもある。

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