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「政教分離」の誤解 公権力を縛るのが主眼

記者会見した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の勅使河原秀行・教会改革推進本部長=4日午後、東京都渋谷区
記者会見した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の勅使河原秀行・教会改革推進本部長=4日午後、東京都渋谷区

無視される「法治主義」の原則

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と「接点」があった政治家叩(たた)きはメディアから国会に広がり、山際大志郎・経済再生担当相(当時)が辞任に追い込まれた。同教団関連団体のイベントに出席した当時、教団は「反社的勢力(反社)」として問題になっていなかった。れっきとした宗教法人として活動する教団と関係があっただけで辞任すべきものではあるまい。

後から、教団の問題が表面化したのなら、改善を要求し、教団側もそれに積極的に取り組むべきだ。それでも改善が見られなければ「反社」になろうが、現在の政治とメディアの動きは逆。解散に追い込むために「反社」にしているように見える。

魔女狩りの様相を呈する政治とメディアを目の当たりにして、保守論壇を中心に、日本の将来を危ぶむ声が増え始めている。「正論」11月号掲載の「『旧統一教会批判』熱狂の危うさ」はその一つ。筆者は同誌編集部の安藤慶太氏。まず「旧統一教会の活動に個別の問題点があるならば、それは民事、刑事両面から正していけばいい」と、法治国家の原則を確認する。

その上で、「反社」の事実認定を欠く一方、教団が宗教法人として認証されていること、さらに「信者が現実に存在し、彼らなりの信仰生活をしていることなどは何も顧みられていない。『魔女狩り』にも似た、窮屈かついびつで寛容さに欠けた『空気』がもたらす『圧力』に政治家も役所も流されてしまっている」と、現行の教団バッシングに強い警戒心を示した。

もう一つ顧みられないことがある。憲法が保障する「信教の自由」だ。「憲法二十条に定められた信教の自由はもちろん、宗教団体が憲法にある『公の支配』に服する存在ではないこともすっかり忘れ去られてしまって」おり、教団に対する「人民裁判のような光景が繰り広げられている」と、「正論」を展開する。

教団と関係があった政治家叩きの背景には「政教分離」についての誤解があるとする声は少なくない。文明論考家の上野景文氏は「この原理はあくまで公権力を縛ることに主眼があり、政党や議員、つまり政治家一般を縛るものではない」と述べる(「問題の核心は『政教分離』の誤解」「Hanada」12月号)。

また、作家の佐藤優氏は「政治と宗教」の「切り口自体に信教の自由を侵害しかねない深刻な問題がある」と、信仰の本質に迫る指摘を行っている(「『政治と宗教』をめぐる一問一答。」「潮」11月号)。宗教団体に限らず、「違法行為や社会通念から著しく逸脱した行為が頻発(ひんぱつ)している団体との支持協力関係」は「政治と宗教」ではなく、「政治倫理(りんり)の問題」だという。これも「正論」だ。

こうした政治と宗教との関わりについての誤解を背景にした異様な空気に屈してしまっている筆頭は岸田文雄首相だろう。安藤氏は岸田首相の対応における問題点を二つ挙げた。一つは自民党本部ではなく官邸で記者会見し、党と教団との関係を断つことを表明したこと。もう一つは「一切の関係を断つ」の意味が曖昧なことだ。党から教団信者を「一人残らずつまみ出して排除するという意味なのか」と、重大な疑念を提起しているが、いずれも公党の総裁が憲法20条の要請を理解していないか、軽視している証左だ。

安藤氏は最後に警鐘を鳴らす。教団を「解散させることが正義だと考えている人たちは、それが『法治主義』を崩しかねない、という自覚に乏しいように思う」と。まったく同感である。

(森田 清策)

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