文革賛美の虚報記事
現在、朝日の誤りの「本命」が残されている。それが中国報道だ。そもそも50年前の1972年の日中国交は朝日が仕掛けた。66年に毛沢東が始めた文化大革命(文革)ではサンケイ(当時)、毎日、西日本の特派員はその実態を打電し続けたため、67年に「文革を中傷し、反中国活動を行った」として国外追放された。中国に残った日本人記者は朝日の特派員1人だけとなり、朝日は北京と手を握った。
それが68年の「政治3原則」だ。3原則とは①中国敵視政策をとらない②「二つの中国」に加わらない③日中国交の回復を妨げない―というもので、朝日はこれを受け入れ「報道の自由」を中国に売り渡し、中国共産党の政治宣伝に全面協力して文革賛美記事を書き続け、国民の「知る権利」を奪った。
だが、広岡知男社長(当時)は「報道鎖国に入るのが記者の役割」とする「歴史の目撃者」論なるものをもって虚報を正当化し、「私には(日中)復交を第一に考えるべきだという大前提がある」と開き直った。これこそ報道を政治的に利用するプロパガンダ(扇動)そのものである。
今に続く外交「指南」
文革から日中国交(72年)に至る朝日の中国報道は「慰安婦」虚報に並ぶ、いや、それ以上の犯罪的虚報だった。その流れは今に続いている。日中国交50年を論じた朝日9月29日付社説は「平和を築く重層的な対話を」と、対話を前面に押し出す。人権弾圧や軍事増強への批判は取って付けたように書き、「勇ましい抑止論だけで国の安全と繁栄はもたらされない」と防衛力増強論を揶揄(やゆ)している。
想起すべきは、朝日の外交政策への“指南”はことごとく間違っていたことだ。親中プロパガンダに騙(だま)されてはならない。そんな安倍氏の声が聞こえてきそうだ。
(増 記代司)