
触れぬ「四月会」の修羅場
公明党の月刊機関誌「公明」10月号には巻頭特集「『大衆とともに』60年」が載る。「1962年9月13日、公明党の前身である公明政治連盟(公政連)の第1回全国大会で、党創立者の池田大作・創価学会名誉会長が立党精神の淵源となる『大衆とともに』の指針を示されてから、今年で60年を迎える」のリードで、山口那津男代表(15日に8選確定)が「立党精神みなぎる行動で『衆望』担う政治を」とのタイトルで語っている。
そして60年前、東京・豊島公会堂での池田氏の話、「公明政治連盟 第一回全国大会での創立者あいさつ(抜粋) 民衆とともに歩め」を掲載した。同あいさつを立党精神として強調した特集だ。この創価学会の政党と現在、自民党は連立を組んでいる。
山口氏は「自民党と公明党は持ち味が違い、両党がそれぞれの特長を生かすことで、幅広い国民の声をキャッチ」できると述べている。が、結党後の公明は反自民の野党として始まり、1993年に反自民の連立政権に加わった。
自民党が社会党の村山富市首相を担いで政権復帰していた95年の初夏、筆者は駅前であるビラを受け取った。オウム真理教よりも悪い創価学会は最悪といった内容で「四月会」という団体のものだった。同年3月、地下鉄サリン事件があったばかりでオウムより悪いとは著しく激しい敵意だった。この「四月会」の母体は自民だ。94年6月の設立総会には当時の社会党、自民党、新党さきがけから村山富市委員長、河野洋平総裁、武村正義代表が出席した。
背景には公明の政権参加や新進党の結党がある。新進は自民を離党した海部俊樹元首相を党首に自民離党組の新生、公明、民社、日本新など各党が合流。特に公明の合流により創価学会が選挙の実働部隊となるとにらみ「四月会」設立となった。実際、95年夏の参院選で新進は結党半年余りで比例区は最多票の1位だった。国会内外で反創価学会運動が続いた。
その後、新進は2大政党に育つことなく解散、社民党が割れて民主党に合流する一方、公明が再結成した。自民は民主の出現に遭遇して「悪魔にひれ伏す」連立組み替えの修羅場となり、「四月会」は解散。自民は小沢一郎氏の自由党との連立を経て99年10月に公明と連立を組んだ。結党60年の同誌特集は触れていないが、昨日の敵は今日の友の典型である。
(窪田 伸雄)