理性を疑う巨額賠償
原発訴訟に関しては司法判断のばらつきが目立つ。避難者の集団訴訟がその典型で、地裁と高裁での判決に混乱があった。産経は、「6月の最高裁の判決は、そうした状態の収束に寄与するはずのものであっただけに残念だ」としたが、同感である。
また、旧経営陣4人中の3人は福島事故に関する業務上過失致死傷罪で強制起訴されたが、令和元年に東京地裁で無罪判決となっている。
同地裁が平成14年に政府の地震調査研究推進本部が公表した「長期評価」の信頼性を認めなかったからであるが、同紙は「刑事裁判と民事裁判の差があるにしても、同一地裁で津波被害の予見可能性について3年も経ずに逆の判断が示される事態は、迷走以外の何ものでもあるまい」と強調したが、その通りである。
社説の見出しはここから取られているが、13兆円超という賠償金についても、同紙は個人の支払い能力を超越した天文学的な賠償額であるとして、「法廷の理性が疑われる」と疑念を呈した。
読売もほぼ同様で、「払えるはずもない金額を個人に負わせる判決は、裁判の意義にも疑問を抱かせかねない」と指摘する。
株主代表訴訟で過去に巨額の賠償を命じられた事例が、オリンパスやダスキンなどであるが、大半は旧経営陣が不正に関与したり、事件を隠蔽(いんぺい)したりしたケースで、読売は「今回のように自然災害への備えの是非が問われた裁判が極めて異例だ」とする。
狙いは原発稼働牽制
同紙は、こうした裁判が相次げば、誰も企業の役員になりたがらないとの声も聞かれるとして、「他の電力会社までが萎縮(いしゅく)し、原発の稼働に及び腰になることも懸念される」と危惧する。左派系紙の異常な高評価も、これが狙いのようである。
(床井明男)