森田 清策
多い幼少期の性的虐待
「性転換」で苦悩解消なるか
わが国で「性同一性障害の性別の取り扱いの特例に関する法律」(特例法)が施行したのは2004年7月。これによって、性別適合(性転換)手術を受けた性同一性障害の当事者は法律上、男性から女性あるいは女性から男性に性別を変更することができるようになった。
手術を受けるには成年に達していること、医師による診断があることなど幾つかの厳しい条件が付いている。本人が「性同一性障害」だと思っていても、一時的な思い込みの場合もある。その上、この手術は健康な体にメスを入れ、不妊にしてしまうのだから、安易に施したのでは、取り返しのつかないことになる。従って、その選択は慎重に行われるべきものだ。
だが、04年以降、特例法により性別変更した人の数は右肩上がりに増え、20年に1万人に達した(20年だけは前年を下回ったが、コロナ禍の影響と考えられる)。しかし、その中には、タイで手術を受けて性別変更した当事者が手術後、心身に支障を来し、元の性別に戻す訴えを起こした例がある。特例法には、再変更についての規定はないが、家裁は柔軟に対応し、再変更を認めている。
この場合、「性同一性障害」と誤診した精神科医の責任は免れないが、そもそも客観的な指標に乏しく、常に誤診の可能性が他の診療科より高いのが精神医療だ。医師の主観による診断の限界を前提とするなら、前述のような性別の再変更とまではいかなくても、手術を後悔している人は少なくないかもしれない。
LGBT(性的少数者)運動が活発となっている昨今、健康な体にメスを入れて生殖器を作り変えてしまわなければ性別変更を認めない特例法は人権侵害なのだから、手術をしなくても、本人の意思だけで性別変更を認めるべきだとの声も上がっている。
いわゆる「トランスジェンダリズム(性自認至上主義)」だ。しかし、LGBT運動の“先進国”である米国などを見れば分かるように、これだと社会混乱は避けられない。男性器を持つ「女性」が女性用トイレやスパを利用すれば、他の女性に対する人権侵害を生じさせてしまうからだ。
月刊「正論」5月号に載った「『男→女→男』の私が言う 『性』は変えられない」は、性転換したことを後悔している人などに対して支援活動している米国の団体「セックス・チェンジ・リグレット」の主宰者ウォルト・ヘイヤー氏(81)へのインタビュー記事である。少々長くなるが、同氏の生い立ちと、この活動を始めた経緯を説明しよう。それがないと、性別適合手術が抱える問題の核心に迫れない。
ヘイヤー氏は子供の頃、祖母から女の子の洋服を着せられて「かわいい」と褒められて育つうちに「女の子になりたい」と思うようになった。しかし、息子が女の子の服を着ることを“矯正”しようとした父親から暴力を振るわれたばかりか、叔父からは性的虐待を受けた。その事実は両親に伝えても信じてもらえず、結局、性的虐待の被害者であることは誰にも言えずに成長した。
結婚し子供2人を持つ父親になっても「女性になりたい」という願望は消えなかった。その苦悩からアルコールや薬物依存に陥った。「著名な医師」の診断では「性同一性障害」だという。そこで、妻から離婚されながらも42歳で、性別適合手術を受けて「女性」になった。
だが、手術を受けても精神的な苦痛はなくならなかった。そこで、大学で心理学を勉強した。その結果、「自分自身を異なる性だと思う人は、うつや双極性障害(躁うつ病)など診断未確定で未治療の障害を抱えているということに」気付く。原因は「幼少期の有害な経験」(ACE)と認識し、カウンセリングなどで、その体験に向き合い続けたところ、女性になりたいと思わなくなり、再手術を受けて男性に戻ったという。50歳の時だった。
同団体のサイトの閲覧は過去7年間で200万件以上。ヘイヤー氏はこれまでに性別変更を後悔した数千人を支援してきたが、彼に支援を求めて連絡してくる人々の特徴は、全員が虐待の被害者で、その半数は性的虐待だという。
ヘイヤー氏と彼が支援する人たちの成長過程における経験の共通性から考えると、「性同一性障害」との診断を受ける人の全てというわけではないにしても(胎児期の性分化の異常も考えられる)、その多くが虐待の被害者であるという分析は、十分説得力を持つ。現在、LGBT運動の問題点の一つは、同性愛者にしろ、トランスジェンダー(心と体の性が一致しない人)にしろ、その原因を探ろうとせずに、社会の無理解にばかり目を向けさせて、社会改革(性革命と言ってもいい)を推し進めようとするところにある、と筆者はみている。
原因を突き止めなければ、当事者への適切な支援はできない。しかし、性的少数者になった原因を探り、それが虐待をはじめとした当事者の経験など、何らかの「異常」な出来事によって引き起こされていると分かれば、ヘイヤー氏の例が示すように、その異常に向き合うことによって、性的指向や性自認が「正常」に変わる可能性が出てくることになる。
そうなると、「多様性に対する寛容な心」という麗句を掲げて、社会変革を目指す現在のLGBT運動にとっては、誠に都合が悪い。当事者が自分に向き合うことによって問題解決や改善できる可能性があるとすれば、社会変革を求める運動は力を失ってしまうからだ。また、自分が認識する性別のままに生活できるようにしようというトランスジェンダリズムは自分に向き合う姿勢を奪うだけで、問題の解決にはつながらないことになる。
1万人に上る性別適合手術を受けた日本の当事者の中にも、カウンセリングなどで性自認を変えることができたケースがあったのかもしれない。手術を後悔し、性別を再変更した人はその一例だったのだろう。
日本の場合、性別適合手術に厳しい条件が付いているからまだいい。米国では、未成年者を含め、安易に性別適合手術が行われてきた。そんな状況をもたらした背景について、「マルクス主義の存在」があるとヘイヤー氏は指摘する。「マルクス主義者は家族を壊したいと考えており、手術やホルモン治療をすることで子供を産めなくすることに躊躇がない」というのである。自覚的なマルクス主義者とまで言わなくても、成長過程で親などから性的虐待を受けた被害者が家族に恨みを抱き、それが社会変革運動の動機になっているということはあり得ることだ。
性別適合手術が安易に行われてきことに対する反省から、米国アラバマ州では最近、未成年者への性別適合手術を重罪とする法律を成立させた。手術だけでなく、ホルモン治療も含めトランスジェンダーの未成年者への治療を制限する動きは、アーカンソー州など南部保守州で広まっている。
また、スウェーデンで行われた性別適合手術の予後調査によると、平均11・4年間の予後で、自殺による死亡率は一般の人の19・1倍にも上っている。その原因については、手術を受けた人に対する社会の無理解が指摘されるが、果たしてそれだけなのか。後天的な要因で性別違和を覚えるようになった人の多くは、やはり「本来」の性別がどこかにあり、体を変えてもそれは消えないのではないか。この疑問に対する答えを出すためにも当事者のためにも、性別適合手術の精神的、肉体的影響を長期的にフォローすることは不可欠である。