「グローバル化」に疑問を呈し「国際化」の必要性を訴える施光恒氏

地球儀のイメージ(Unsplash)

コロナ禍で歪み露呈

コロナ禍がもたらした世界を人類はまだ十分には捉えきれていない。ただ分かっていることは、「サプライチェーン」が寸断されることで、今まで普通だったことがストップするということである。日本の裏側で起こっているロシアによるウクライナ侵攻によって食料品の値段が上がる、という仕組みにより、自分たちが否応もなく「グローバル化」された世界の中で生活し、疫病や戦争によって、それが詰まる“脆(もろ)さ”の中で生きている、ということだ。

グローバル化に疑問を呈し、「国際化」せよと訴えるのは九州大学大学院教授の施光恒(せてるひさ)だ。週刊新潮4月21日号の「シリーズ『ポスト・コロナ』論」で語っている。「コロナ禍を、『グローバル化=善』という認識図式を考え直す奇貨とすべきではないか」という。

グローバル化とは何か。施は「国境の垣根をできる限り低くして、人・モノ・カネ・サービスの動きをより自由化し、活発化させていくこと」と定義する。

一方、国際化を「国境や国籍は維持したままで、各国の言語や文化、伝統が異なることを当然の前提とした上で、それを互いに認めつつ交流を深める」という考え方だ。

グローバル化は分断をもたらした、という施の主張をまとめると、「余裕のあるグローバルな企業や投資家が力を持つ」「(彼らが)政治的影響力を強めた反面で、相対的に各国の『普通の人々』、一般庶民の声が政治に反映されにくくなってしまった」「グローバル化の歪(ひず)みは、コロナ禍によって顕(あら)わになり」「グローバルな企業や投資家と一般庶民の間に分断、格差の拡大をもたらした」となる。

「帝国的世界」の弊害

グローバルな企業と聞いて、われわれが少なからず恩恵を受けているデジタル情報化社会を牽引(けんいん)する世界的巨大企業がすぐに想起される。瞬時に世界中の情報が共有され、同時に発信もできる。ウクライナの惨状がSNSで発せられ、それが軍事攻撃目標設定に利用されたりもする。窮状を伝えるのにメディアのはるか先を行くスピードは、世界の共感を集めるのにも貢献した。

だが、おかしなことに、目の前の「事実」が当たり前に認識されない。フェイクだと言う。事実、デジタル技術は簡単にそのフェイクをつくり出すことができる。とともに情報を遮断あるいは誘導し、自分に都合のいい内容だけに目を向けさせることもできる。人々は「事実」よりも、自分が信じたい「真実」を持つようになる。

この情報を操って、世界的投資家は利益を得る。巨大資金を動かせる者が弱小国家を潰(つぶ)すほどの力と影響力を持つ。「富む者はますます富み、貧しい者はますます貧す」世界で、これがグローバル化がもたらした現実である。

施はイスラエルの政治学者であるヨラム・ハゾニーの著書『ナショナリズムの美徳』を引用して説明する。ハゾニーは欧州の「政治の伝統には二つの理想的世界のビジョンがある」として、「ひとつは『多数の国々からなる世界』、そしてもうひとつは『帝国的世界』」だと規定する。

前者は「それぞれの国が自分たちの言語や文化、伝統を大切にした国づくりを行った上で、互いの違いを認めて共存、共栄していくことを理想とするビジョン」で、後者は「理性的、合理的、普遍的な単一の制度やルールを定め、それを世界に遍(あまね)く広げていくことを理想とするビジョン」だ。

グローバル化はまさにこの「帝国的世界」を推し進めており、「長期的に見た場合、多様性が持続するとは思えない」と施は危惧する。そして、「国境の垣根が低くなれば、国のあり方そのものが溶解し、文化が均一化していく」と、その弊害を指摘する。

違い尊重して交流を

施は、だから鎖国せよと言っているわけではない。「国境や国ごとの違いを『障壁』とは捉えずに、各国・各地域の違いを尊重した上で交流を深化させる」という国際化をすべきだと主張する。

そして「『ポスト・コロナ時代』は『ポスト・グローバリズム時代』であるべきだと考えて」いると締めくくる。傾聴すべき意見である。

(敬称略)

(岩崎 哲)

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