
相変わらずの反原発
政府は東京電力管内の1都8県で電力不足の恐れがあるとして「電力需給逼迫(ひっぱく)警報」を初めて出した。16日の福島県沖の地震の影響で、停止した火力発電所の復旧が遅れている上に、気温の低下で電力需要が高まったためで、企業や家庭に節電を呼び掛けた。
この事態に各紙が社説で論評を掲載した。見出しは次の通りである。22日付本紙「安定供給へ原発活用を進めよ」、23日付読売「供給体制の強化策が不十分だ」、日経「安定供給の回復へ電力制度を総点検せよ」、産経「再生エネの脆弱性克服を」、東京「需給見通し甘くないか」、24日付朝日「抜本的な備えの強化を」、27日付毎日「慢性化する不足に備えを」――。
見出しだけを見ると、東京を除いて保守系紙も左派系紙も供給力や供給体制の強化を訴え、区別がつかない。これまで反原発を唱えていた朝日や毎日も現実を直視して、やっと原発容認へ論調を変えたのかと一瞬期待を抱かせたが、中身はいつも変わらぬ反原発、嫌原発論だった。
では、「電力不足への備えがいかにお寒いか。実態が露呈した」と冒頭で歎(なげ)き、見出しに掲げたように「抜本的な備えの強化を」と説く朝日の「抜本的な備えの強化」とはいったい何なのか。
それらしい答えが、見当たらないのである。強いて挙げれば、「中長期的に需給を安定させていくには、再生可能エネルギーが主役となることが望まれる」という件(くだり)か。
これはあくまで同紙の「期待」であり、抜本的な備えではない。太陽光は天候に左右されやすく、今回も発電量の低迷が逼迫の要因の一つになったとしつつも、「比較的早く稼働できる利点もある」「風力などとうまく組み合わせ、脱炭素社会をめざす流れとの両立を図りたい」などと期待を並べるだけで、安定供給にもなり得ないのである。
「比較的早く稼働…」とは、新規制基準への適合や避難計画の整備が前提の原発の活用と対比してのようだが、太陽光が悪天候時には安定供給に資さない以上、全く意味がない。原発の活用を「目先の需給と直結させて議論すべきではない」と排除するが故である。
再評価の動きも無視
評価できるのは、日経なども指摘する蓄電技術の開発や、周波数の異なる東日本と西日本の間も含めた広域送電網の強化も大切だという点だけである。ただ、これでも時間がかかりそうで、原発再稼働とどちらが早いか。
毎日も「一歩間違えば大規模な停電を引き起こしかねない事態だった」と危機感を示すものの、「慢性化する不足に備えを」(見出し)と主張する中身は、蓄電技術の開発と広域送電網の整備を急ぐことで、当面の課題でもある「慢性化する不足」に対処するものになっていない。
原発の活用に関しては、「安全性への根強い不安や、放射性廃棄物の問題などを考えれば現実的ではない」とする。世界一厳しいと言われる新規制基準という科学的知見ばかりか、欧州などで高まる原発再評価の動きにも無視し続けている。
同紙は「当面は利用者の節電も不可欠だ」として、その実効性の確保に逼迫状況を迅速かつ分かりやすく伝える工夫が必須となると指摘。今回の政府や電力会社の「初動の遅れ」を検証し、慢性化する電力不足への備えを固めなければならないとしたが、何とも心もとない対応である。
現状認識が甘い東京
東京に至っては、需給見通しの甘さが唐突な警報発令につながり、家庭や企業による節電量の不足につながっているとしたが、保守系紙が危惧するような慢性的な電力不足という認識がない。
同紙は「一時的な逼迫を乗り切れば、火力や水力に各種再生エネルギーを組み合わせた複合的な発電と、官民を挙げた節電効果で必要な電力は十分まかなえる」としたが、一時的といい原発排除といい、現実認識の甘さに呆(あき)れるばかりである。
(床井明男)