
日本が学ぶべき教訓
「防衛に努めぬ国と共に戦う国はない」―。安倍晋三元首相は産経との単独インタビューで、ロシアのウクライナ軍事侵攻から日本が学び取るべき教訓をこう語っている(26日付)。国連安保理事会の常任理事国が紛争の当事者になれば安保理は機能しない、そして同盟国以外は共に戦う国は存在しない、と。
まさにその現実を今、見せつけられている。安倍政権時に成立した集団的自衛権の限定的行使容認を含む安全保障関連法は「戦争に巻き込まれる」などと批判にさらされたが、今のウクライナの現実は、その逆であることを示している。ウクライナがNATO(北大西洋条約機構)の加盟国だったらロシアに侵略されることはなかった。安倍氏のこの指摘は頷(うなず)けよう。
安保関連法が成立したのはロシアのクリミア併合の翌2015年のことだ。これに「戦争法」のレッテルを貼ったのは朝日や毎日の左派紙だ。同法案が衆院特別委で採択されると、7月16日付社説で朝日は「戦後の歩み覆す 暴挙」、毎日は「国民は納得しない」と猛反対した。
同年8月には共産党などが組織動員し、国会周辺でデモを繰り広げたが、朝日は「最大デモ、国会周辺に集結」「声出す 世代超え 60年安保知る70歳 仲間たちと若者結ぶ」(同31日付)と60年安保の再来を夢想し、法案が成立すると、「(反対闘争の)新たな『始まりの日』に」(9月20日付)と拳を挙げた。
藻谷氏こそ言葉遊び
だが、安保関連法を「戦争法」と見立てるのは「破滅的な見当違い」だったことがウクライナで明確になった。米政治学者ジョセフ・ナイ氏によれば、「破滅的な見当違い」は歴史上幾つかある。一つは第1次世界大戦をめぐってだ。1910年に米スタンフォード大学のジョーダン学長は戦争を引き起こせば、欧州諸国は破産するから「将来、戦争は不可能になる」としたが、14年に大戦が勃発し「破滅的な見当違い」となった。
第2次世界大戦をめぐるチェンバレン英首相の融和政策もそうだ。ナチス・ドイツの拡張政策を黙認し38年に英仏独伊4カ国でミュンヘン協定を締結。これで平和が来ると考えたが、逆にヒトラーは干渉しないシグナルと受け取り大戦に突き進み、「破滅的な見当違い」となった(『国際紛争 理論と歴史』有斐閣)。
毎日27日付で藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員は朝毎に迎合するように「『9条改正』は自滅の道」と論じているが、これも「破滅的な見当違い」の類いだ。
藻谷氏はウクライナに対して「正当防衛の権利を行使するからといって、個人の安全が増すわけではない」とし、「過去に侵略者に踏みにじられた無数の国々の圧倒的多数も、防衛意識にあふれていたけれども敗れたのだ」と、まるで降伏せよと言わんばかりに書き、「日本の平和憲法を世界に広める努力こそ、言葉遊びではない本当の自衛行動である」と唱えている。冗談ではない。こっちの方こそ言葉遊びの極みだ。
野口さんが痛烈批判
こうした空想的平和論に対してアルピニストの野口健さんは、「(ウクライナ人は)ロシアに支配されたら絶望的な運命のみが待ち構えているということを彼らは過去の体験から体に刻まれるほど理解している」とし、「『命は大切だ』。それはそうだろう。その命のために戦っているのだ。それを上っ面だけの平和主義を掲げてみても意味がない。まるで『憲法第9条さえあれば国や国民を守れます』と言っているに等しい」と痛烈に批判している(産経24日付)。
スポーツジャーナリストの増田明美さんは、「祖国を守るために戦地へと自ら向かうウクライナ人の凛(りん)とした態度に、心を打たれる…日本が万が一、武力によって侵略されたら…。子供を守り、愛する人を守ることができるだろうか」と問うている(産経3月22日付)。
左派紙の「破滅的な見当違い」より、はるかにまっとうな感性だろう。
(増 記代司)