「宗教的召命感」が「プーチンの野望」の原点に

ロシア正教を背景に欧米に挑戦、欧州秩序再編へ固い覚悟

 ロシアによるウクライナ侵攻後に編集された月刊誌4月号には、当然のことだが、ウクライナ情勢関係の論考をメインに編集している。いずれも、ロシアの侵攻は、軍事と地政学的な観点から、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大に対するプーチンの敵意にとどまらず、冷戦後、米国が主導してきた欧州の国際秩序への挑戦という見方で大筋一致する。

 その中で、地政学的観点からだけでなく、歴史的・宗教的視点から、ウクライナ侵攻に至ったプーチンの思考回路を探った興味深い論考が「文藝春秋」に載っている。元外務省欧州局長、東郷和彦と笹川平和財団主任研究員、畔蒜(あびる)泰助の対談「プーチンの野望」だ。

 2人がまず注目したのはプーチンが1999年12月発表した論文「千年紀の狭間におけるロシア」。東郷の解説によると、これは、ソ連崩壊後、ロシアの国力は落ちて、いわば「三流国家」に成り下がってしまったが、ロシアは三流国家ではないし、「自分の使命はロシアの真の力を回復することにある」と訴えたプーチンの「悲痛な論文」だという。

 プーチンの野望について、畔蒜は、ロシア人のDNAには「大国のアイデンティティ」が刻み込まれているとした上で、「没落したロシアを完全に蚊帳の外に置くようになった」NATOに強い不満を持ち、「ロシアも意思決定に参加できるよう、既存の枠組みを作り変えようとしている」と分析した。ロシアの歴史を振り返り、プーチンが失地回復を狙っているとする見方は多くの専門家が指摘するところだ。

 2人の対談はそこにとどまらず、プーチンが昨年7月に発表した論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」についてもかなり突っ込んだ議論を交わしている。この論文には、在ウクライナジャーナリスト、古川英治の論考「プーチンと習近平の『新ヤルタ体制』」(「文藝春秋」)、政策研究大学院大学客員教授、飯村豊の論考「戦略拡大の必要示すウクライナ危機」(「正論」)でも触れている。

 プーチンはこの論文で、ロシア(大ロシア)、ウクライナ(小ロシア)、ベラルーシ(白ロシア)は三位一体の「スラブ三兄弟」、つまりロシア人とウクライナ人は歴史的には一つの民族なのだから、ウクライナの真の主権はロシアとのパートナーシップで確立されると訴えた。

 またプーチンは、「欧米が両者を引き裂こうとしてきたとする一方的な歴史観を展開し、NATOと欧州連合(EU)加盟を目指すゼレンスキー政権を非難した」(吉川)のである。

 さらに、どの論考でも触れていないエピソードだが、プーチンの論文について感想を求められたウクライナ大統領ゼレンスキーは、ロシアとウクライナは兄弟と言われると「カインとアベル」を思ってしまうと答えている。旧約聖書によると、人類の始祖アダムとイブの息子である兄カインは弟アベルを殺している。つまり、ゼレンスキーに言わせれば、人殺しのカインに兄弟だと言われてもそれは困ると皮肉ったのである。

 東郷と畔蒜の対談で特に注目されるのは、プーチンの野望の原点に「宗教的召命感」(東郷)を見て取っている点だ。その召命感があるが故に、「欧州秩序再編への覚悟はよほど固い」(畔蒜)という見方につながっている。

 プーチンが宗教に深い関心を抱いていることは、東郷が紹介した次のエピソードからもうかがえる。ロシア正教会総主教のアレキセイ2世が2000年5月、天皇陛下(現上皇陛下)に拝謁するに至った裏話だ。

 現参議院議員の鈴木宗男が同年、プーチンと会談した際、「アレキセイ二世が初訪日するので、天皇陛下に拝謁する機会を作ってくれないか」と相談を受け、鈴木の働き掛けで拝謁は実現した。

 そのあと、元外務省主任分析官の佐藤優がロシア連邦成立時の大統領エリツィンの「指南役」だった元国務長官ブルブリスに、このエピソードを話すと、彼は「プーチンは最初、エリツィンによって大統領に任ぜられた。それから国民に委託された大統領に成長した。いずれ、神に選ばれた大統領だと確信するのではないか」。そして「早い時期からの宗教への関心があればこそ、総主教の日本訪問にとても熱心に取り組んだのかもしれない」と述べたという。

 このエピソードを、東郷はだれから聞いたかについては触れていないが、「文藝春秋」2005年12月号に載った佐藤の論考「死神プーチンの仮面を剥げ」にほぼ同じ内容が記されている。

 それはともかく、東郷の話を聞いて、畔蒜は「確かに。天からの使命を感じているからこそ、大国ロシアを実現するまでは、大統領をやめられない。アメリカともガチンコ勝負をいとわない」と応じている。

 さらに、東郷は「ここ十年のプーチンは、宗教的なメッセージを意識して発信しています」とした上で、「ロシア正教を背景に、国民の精神的指導者になろうとしているようにも見えます」と述べている。

 プーチンとロシア正教との深い関わりについては、古川も言及する。プーチンが2006年、ロシア大統領府(クレムリン)横に、10世紀にキリスト教を国教としたキーウ(キエフ)公国の大公の像を建設したことを例に挙げながら、プーチンは「ロシアが作り上げてきたキーウ公国の神話、正教会やロシア語のつながりを強調し、欧米の価値観とは異なる『ロシア世界』という概念を掲げ、自らをその『守護神』と見立てて求心力にしてきた」と指摘した。

 これらの分析が的を射ているとすれば、「民族の一体性」というプーチンの主張は、単に個人的な野望を達成するための方便ではないということになる。しかも、畔蒜によると、プーチンは宗教だけでなく、歴史にも強い関心を示し「数多くの文献を読みこみ、自分に都合の良いように史実を作り変えられるレベルにまで達している」。前述した「歴史的一体性」論文について、東郷はそれなりの説得力がある内容で、「相当勉強を積んでいないと書けない」と、畔蒜に同調する。だから、繰り返すが、プーチンの「欧州秩序再編への覚悟はよほど固い」と考えた方がいい。

 ロシアによるウクライナ侵攻は、欧米でもアジアでもないスラブのアイデンティティーを守るための“プーチンの戦争”と言っても過言ではない。歴史的・宗教的視点からプーチンの思考回路を見ると、この戦争に終止符を打つのは、日本人が考える以上に容易ではないことが分かる。(敬称略)

 編集委員 森田 清策

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